•  フットパス活動の記録

【緑地管理報告 8/3(日)】
2025.08.06
8/3(日)9:30~11:20 晴 参加人数 8人

作業前に皆で緑地を一通り見て回りました。
1ヶ月前にずいぶん綺麗に草刈りをした場所に、違う種類の雑草が
膝より高く伸びています。

倒れている木を片付け、雑草を刈りました。小さな丘がジャングル状態
になっていましたが、草刈り機と鎌でサッパリとなりました。

雑草は逞しいけれど、私達も逞しいです。

ムラサキシキブの大きな木が実をたくさん付けていて色付く頃が楽しみです。

暑かったけれど、時おり山から吹いてくる風が心地よい中での作業でした。

(鈴木)
2025.08.06 08:33 | 固定リンク | 緑地管理
【緑地管理報告 7/6(日)】
2025.07.06
作業報告書 7月6日(日) 9時半〜11時半
      参加者 男性 3人 女性5人

連日の猛暑が続き、今日は熱中症警戒アラートが発表される中、
緑地の整備作業を行いました。
男性陣は草刈り機で効率良く雑草を刈り取り、
女性陣は鎌を片手に雑草と格闘しました。
作業の仕上がりは、ほぼ9割が男性 3名の尽力によるものです。本当にお疲れ様でした。
心より感謝致します。

一方、緑地ではノカンゾウやヒルガオの花々が咲き誇り、
野原が一層華やいで見えました。
「みどりのゆび」管理緑地の整備に協力される方々は、皆心の優しい方ばかりで、
里山の自然が人々の心を癒してくれる事もあるのではないかと
思います。
美しい風景を眺めながらの一休みは、格別のものでした。

榎本 美智子
2025.07.06 22:21 | 固定リンク | 緑地管理
他のまちのフットパスをみてみよう 小湊鉄道と養老渓谷・チバニアン
2025.07.05
[ 講師:みどりのゆび 小林 道正]

トロッコ列車で緑のトンネルを走り抜けチバニアンでタイムトラベル

7月5日(土) 天気:晴 参加者:8名

 私たちが乗った「トロッコ観光列車」は養老川に沿って、水田の中を走り、自動車道路と並んで走り、雑草と樹木の中をゆっくりトコトコユラユラ、時々ガタンゴトンと車体を軋ませながら進みます。沿道の住民の方や自動車の中の人たちが手を振ってくれます。みんな笑顔になります。


トロッコ観光列車(小湊鉄道HPより転載)

 小湊鉄道は房総半島の里山風景の中を走る姿が人気です。大正から昭和初期にかけて建設され全線単線非電化という完成当時の姿を色濃く残しています。レトロな車両や駅舎が現役で活躍していて映画やドラマのロケ地としても選ばれ、多くの鉄道ファンや観光客を魅了しています。


小湊鉄道・途中駅でお買い物

 目指す「チバニアン」は養老渓谷にあります。
 「チバニアン」とは地質年代に命名された名前で、今から77万4千年前から12万9千年前の地質時代名です。2020年1月に日本の地名が初めて地質年代の名前として国際地質科学連合で認められたということで話題になり、有名になりました。


地層の露頭(チバニアンBCのHPより転載)

なぜ「チバニアン」が認定されたのでしょうか?その理由は、養老渓谷の崖には観察がしやすく
保存状態がとても良い「上総層群(かずさそうぐん)」が露出していたからです。その地層の中には
①地球磁場が逆転していた記録が明瞭に残ってい
る。
②白尾火山灰層という目印になる地層がある。
③有孔虫や花粉などの保存良好な化石が豊富に含まれている。
という好条件が揃っていました。
 今回は「チバニアン」の露頭を見学する予定でしたが、残念なことに周辺整備の工事のために立入禁止で近づくことができませんでした。1ヶ月前の突然の発表だったために本会の対応ができませんでした。ご迷惑をおかけしましたが、もう一度来年企画したいと考えています。
 「チバニアン」の時代に堆積した上総層群は、私たちが住む東京•神奈川の地下にも続いていて基盤岩となっていることを考えると、少し身近な存在に思えてきます。


永昌寺トンネル内の地層観察

 「チバニアン」のビジターセンターではボランティアの方が親切でした。皆さんが興味をもたれたことは「地磁気逆転現象」についてだったようです。「松山逆転極期」とは発見者の京都帝国大学松山基範教授の名前が使われています。


チバニアンビジターセンター

 養老渓谷周辺の崖は比較的柔らかい岩石で、ツルハシやスコップでも削ったり穴を開けたりすることができるので、地域では江戸時代の頃から素掘りでトンネルを掘って利用していました。入り口の形が将棋の駒のような五角形をしているものがありました。
 昼食はチバニアンビジターセンター近くの「このいかふぇ」で美味しいビーフシチューをいただきました。


「このいかふぇ」でランチ

(文と写真:小林 道正)

チバニアンの露頭を、来年こそこの目で

 蒸し暑い夏の朝、新宿駅から五井駅へまず向かいました。ここから、フットパスの本番が始まります。小湊鐵道の観光列車「房総里山トロッコ」に乗り込み、私たちは房総半島の中央を流れる養老川に沿って、チバニアンの最寄の月崎駅がある里山を目指しました。どこかクラシカルでありながらも景色が見やすく工夫された車両は、レトロなDB4型機関車にガタゴト引かれ、緑の田園風景の中をゆっくりと走ります。私たちの列車を見かけると地元の方が手を振ってくれてほっこりしました。
 やがて列車は月崎駅に到着。そこから少し歩き、素掘りの永昌寺トンネルを見学し、ポツンと1軒だけのカフェでお昼をとりました。ここではビーフシチューをいただきました。とろけるような牛肉と、野菜の甘みが溶け合った濃厚な味わいに、全員が思わず笑顔に。満腹になってチバニアンビジターセンターに向かいました。館内でセンターの方から解説をお聞きした後、現在は工事のため残念ながら立ち入り禁止になっているチバニアンの手前まで案内をしていただきました。ぜひ次回は、工事も終わったチバニアンの現場と隈研吾によるガイダンス施設をみんなで訪れたいねと意見が一致しました。


車内にて


古民家風の「このいかふぇ」

(文と写真:太田 義博)
2025.07.05 20:21 | 固定リンク | フットパス
他のまちのフットパスをみてみよう 奥浅草から吉原への山谷堀と日本堤を歩く
2025.06.22
[講師:みどりのゆび 浅黄 美彦・神谷 由紀子]

大河ドラマ「べらぼう」の舞台は今


6月22日(日)天気:晴 参加者:12名

 NHK大河ドラマ「べらぼう」の舞台である吉原とその道筋、山谷堀と日本堤を歩いてみようというものです。
「二天門」に10時集合という渋い選択をしてみました。戦災にあった「浅草寺」は、本堂・門・塔などほとんどがRC(鉄筋コンクリート)の建築ですが、二天門と「浅草神社」本殿は、江戸時代の建物です。江戸の建物を眺めながら、まずは浅草寺裏にある「浅草寺支院・集合住宅(1932年築)」前を通り、浅草神社の裏側にある「被官稲荷社」へ。幕末、新門辰五郎が勧請したという渋い稲荷社でした。


二天門


被官稲荷社

 言問通りを渡り芝居町猿若町を通り、「待乳山昇天」へ。旧芝居町はかつての芝居小屋があった碑のみで、その雰囲気を感じることはできませんが、江戸歌舞伎の始祖・猿若勘三郎の名からつけられた。江戸末期の芝居町「猿若町」を歩くことだけでも、楽しいような気がしてきます。

 隅田川方向に少し進むと10mほどの高台が待乳山昇天。隣接する公園内には、ここで生まれた作家・池波正太郎の碑がある。「大川の水と待乳山昇天宮は、私のふるさとのようなものだ」と記している。
 待乳山昇天を北へ抜けると、今回のフットパスのテーマのひとつ「山谷堀と日本堤を歩く」の入口です。山谷堀は昭和50年代に暗渠となり、その上部を台東区が公園として整備しています。
 幅9m、長さ750m、緑道とせず公園として整備しているのも面白い。
 「今戸橋」、「吉野橋」、「山谷堀橋跡」など通り、途中「今戸神社」にも立ち寄り小休止しながら、「山谷堀公園」にある歴史解説板を読みながら吉原へ向かいました。


山谷堀公園


今戸神社

 日本堤通りに出て「見返り柳」のところを左折、S字の五十間道を下ると「吉原大門跡」に辿り着きます。極楽とこの世の間が五十間という川柳のとおり、遊郭という特殊な世界との境界です。
 この通りの左側に蔦屋重三郎は書店を開き、吉原のガイドブック『𠮷原細見』を売って名をあげたという。大門脇にあった「松葉屋」はすでにマンションとなっており、吉原の痕跡、おはぐろどぶの石垣、遊郭「大文字屋」跡の「吉原公園」、「吉原神社」、わずかに残る吉原カフェ建築など、吉原の点在するスポットを巡ってきました。


吉原神社集合写真


吉原カフェ建築

 吉原の町中華や喫茶店に分かれて昼食をとり、「一葉記念館」へ。木造のアパートのような旧一葉記念館も趣がありましたが、2006年に建替えられた記念館は、東京都現代美術館の設計者、柳澤孝彦氏の手によるものです。一昨年の三ノ輪フットパスでも訪ねておりますので、近くのあんみつ屋さん組と一葉記念館組に分かれ、休憩も兼ねて各々赴くままにのんびりとした時を過ごしました。
 いよいよ最後の目的地、三ノ輪の「浄閑寺」へ。“投込寺”とも呼ばれ、花又花酔の川柳「生まれては苦界死しては浄閑寺」と詠まれた碑が切ない。新吉原供養塔の向かい側には、遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、永井荷風が詩碑を残している。文学に詳しい方に解説していただき、より深く味わうことができました。また、参加者の一人が詩碑の建立の日が6月22日と気づき、当日のこの場所を訪ねた奇遇で盛り上がったところで解散となりました。
(文と写真:浅黄 美彦)

蔦重の「耕書堂」を模した観光案内所も活気づいて


 私は、吉原詣は二回目だった。前回は地下鉄三ノ輪から「目黄不動尊」にお参りし、吉原の方へ向かった。今回は浅草寺の二天門に集合して歩く。二天門は浅草神社の近くにあり、雷門辺りより人が少ないので覚えておきたい所だ。
 厳かで風格のある「今戸神社」は招き猫発祥の地で、入口には大きな招き猫が二体飾られている。また縁結びなどのご利益があるとのことで、絵馬にも招き猫が二体描かれている。 木陰で自己紹介をしたり、熱中症にならないように対策をとる。
 「 山谷堀公園」は隅田川に近いからか風が通り心地よかった。公園内にミニサイズの猪牙舟(ちょきぶね)や今戸焼の招き猫などがオブジェのように並べられていた。地元の歴史や産業の一部が分かりやすくて「いいね!」の声が多かった。
 「地方橋」と書いて「じかたはし」 。ここを曲がって更に広い通りまで歩いて行くと、遠くに小さな緑が見えた。「見返りの柳」?
衣紋坂の先には、某局のテレビドラマとタイアップして蔦屋重三郎の「耕書堂」を模した観光案内所ができていた。若い人も増えていて、以前より活気を感じた。
「 浄閑寺」にお参りしてから地下鉄三ノ輪駅にて解散する。私は少し歩いて、念願の都電荒川線に乗り帰路につく。
 電車が動き出すときの合図の「チンチン」の音を懐かしく聞いていた。
(文:新納 清子)


木陰で一休み(写真:神谷)
2025.06.22 20:00 | 固定リンク | フットパス
フットパス専門家講座泉の森の植物を訪ねて
2025.06.08
[講師:日本植物友の会会長山田 隆彦]

気軽に散策して、お目当ての植物を探す



6月8日(日)天気:曇 参加者:13名

 梅雨前の「泉の森」を訪ねた。小田急線の大和駅から歩け、気軽に散策できるのでこの地にはよく訪ねた。6月はキツリフネが咲きだす頃で、緑の林内にちらほらと咲きはじめていた。この稿では4種をとりあげようと思う。
ナガエミクリガマ科[長柄実栗]
 水中で葉を流れに任せている植物、ナガエミクリといい、神奈川県では2か所でしか標本は採集されていない。花期以外の葉は水中にあり、沈水状態で過ごしている。本州~九州に分布しているが、水の流れていないところでは、ほとんど見られない。花期は6~9月、この地のものは、例年なら花穂を伸ばし咲きはじめているのであるが、今年は遅れている。ミクリ科という独立した科であったが、新しいAPG分類(DNAの分析にもとづく分類)ではガマ科となり、ミクリ科はなくなった。



ナガエミクリ

クマノミズキミズキ科[熊野水木]
 ちょうど花盛りであった。白くこんもりと花がかたまりでつき、ミズキとそっくりであるが、花期が違う。クマノミズキはミズキより約1カ月遅く6~7月に咲く。名前は紀州熊野に産するミズキという意味。ミズキとの決定的な違いは、クマノミズキの葉は対生であるが、ミズキは互生である。また冬芽の形が違う。ミズキは鱗のような小さなかたい片に包まれた長い卵形であるが、クマノミズキは筆先のような形をしていて裸芽(芽鱗で覆われていない)である。


クマノミズキ

キツリフネツリフネソウ科[黄吊舟]
 名前のとおり、花は黄色で姿はぶら下がった舟に似ている。学名(世界共通の名前)はインパチエンス・ノリタンゲレ(Impatiens noli-tangere)といい、属名のインパチエンスは「耐えられない」、種形容語のノリタンゲレは「触るな」という意味で、熟した果実を触れると突然はじけることによる。この辺りには、暗紅紫色のツリフネソウも分布している。花の色ですぐに分かる。それ以外にツリフネソウは葉の上に咲き、距(花の後ろにつく長い管)が渦巻状に巻いているが、キツリフネは葉の下に咲き、距は巻かないという違いがある。葉の形も違う。


キツリフネ
ノハカタカラクサツユクサ科[野博多唐草]
 南アメリカ原産の帰化植物で、昭和初期に鑑賞用として葉に白い斑の入ったものが導入された。それが逃げ出し斑のないものが猛烈に増え、環境省の「要注意外来植物」に指定されている。この長い名前は、園芸種の葉の縞模様が博多織に似ていることから野に生える博多唐草と名付けられた。最近は別名のトキワツユクサの名を使う人が多くなった。


ノハカタカラクサ

 種々の草花を楽しみながら、相鉄本線の相模大塚駅で解散した。
(文と写真:山田 隆彦)



メタセコイアに、恐竜のいる白亜紀を想う



 植物に殆ど知識のない者として初めて大和を訪ね、泉の森観察会に参加させていただきました。山田先生のご説明から私が想像した事を拾い出してみます。
 大和駅のプロムナードに真直ぐ伸びた並木があり、先生からメタセコイアと説明されました。メタセコイアは恐竜が栄えた白亜紀に出現した植物です。この並木が成長して30m程に高くなり恐竜が大和のメタセコイアの森を闊歩する風景を想像し、現代と白亜紀が錯綜したロマンを感じました。
 次に植物の繁殖の工夫に関して。例えばツタのように伸びていく植物の場合、葉が茎から左右交互に周期的に出て、つるも規則正しく左右交互に出ています。太陽の光を満遍なく捉え且つ周りの植物等にうまく巻き付く為だそうです。またシダ植物の場合、仲間を増やすため、葉の裏に丸い小さな粒の集まりが並んでいます。時期が来ると粒がはじけて胞子が風に飛ばされ、地面に落ち繁殖するのだそうです。
 上述の”花が咲かないシダ植物“は風が胞子を運んでくれるようです。一方、花が咲く植物には、風の力や、蜂、蝶、野鳥などが蜜を吸いに来て花粉を遠くまで運んでくれます。素人考えですが、後者の方が花粉の運搬量が多く広範囲で繁殖するので、花が咲かないシダ植物は羨ましがっているかもしれません。
 ご説明の中に植物や人類の起源に関係する話も出て来ました。その中で、現存する被子植物でもっとも古いアンボレラという植物は、1億3000万年前の前期白亜紀に出現したと推定されているそうです。ここで恐竜の再登場です。植物の名前は中々頭に入って来なかったですが、ロマンをいただき有難うございます。
(文と写真:小田 直樹)


現実のメタセコイアの並木に恐竜を加えると
2025.06.08 21:31 | 固定リンク | フットパス