•  フットパス活動の記録

他のまちのフットパスをみてみよう麻布十番てどんなまち?
2022.12.17

[ 講師:みどりのゆび]


麻布十番は六本木、広尾、しろがね、赤坂を繋ぐ

12月17日(土)天気:晴参加者:10名



 麻布十番は掴みどころのないまちです。外国人が闊歩するお洒落な通りと、普段着姿のファミリーが老舗店舗で買い物をする下町。大使館や高級住宅街と、川沿いに残る昭和レトロ街。
 幸運にも今回は、会員でかつて住民だったという桐澤宏さんにご案内をしていただき、本当に面白い地域だとわかりました。

 麻布十番の歴史には二つの流れがあります。一つは「浅草寺」に次ぐ古い名刹「善福寺」が平安時代に弘法大師によって開山され、それによって門前町が開けたことです。そしてもう一つは徳川五代将軍綱吉が麻布十番の南に白金御殿を建てたときに遡ります。このために古川の改修工事があり、普請のための人足場が古川の河口から一番、二番と割り当てられ、麻布は十番であったことで「麻布十番」となりました。綱吉といえば元禄時代、麻布にも建てられるようになった下屋敷に生活物資を運ぶ舟や馬の交通の拠点として麻布十番は栄え、商店街も発展したのでした。

 今回の麻布十番お薦めのコースです。
 コース:「麻布十番」駅→パティオ→鳥居坂→饂飩坂→芋洗坂→六本木ヒルズ→毛利邸跡→欅坂→桜坂→さくら坂公園→六本木高校(内田山)→南部小学校→麻布十番→暗闇坂→オーストリア大使館→阿部美樹志邸→一本松→西町インターナショナルスクール→がま池→中里長屋→大黒坂→麻布十番→十番稲荷→ランチ:満点星本店→善福寺→仙台坂→仙台坂上→安藤教会→麻布氷川神社→有栖川公園→「広尾」駅


毛利庭園の紅葉

 今回のコースは、古川一の橋の再開発予定地から始まりました。古川は渋谷川が渋谷区から港区になるときに「古川」という名称に変わるのですが、一の橋の崖下の川沿いに大正時代から残る銭湯や昭和風家屋など懐かしい風景が残っていました。


大正時代から残る銭湯

 麻布の謎は深いです。
 テレビドラマでもよくお目見えの「パティオ」にある赤い靴をはいた女の子の像。きみちゃんはアメリカに渡ったとされていましたが、実は結核で「鳥居坂教会」でなくなっていました。


パティオにある赤い靴の女の子きみちゃん像

 「ロア」のある六本木大通りも再開発が予定されています。私たちの懐かしい六本木の姿もなくなるようです。

 「六本木ヒルズ」の「毛利庭園」の赤紅葉を回ってけやき坂を「さくら坂公園」に渡ると、外国人街になります。昔の内田氏の上屋敷であった高台(内田山)から下って雰囲気ある暗闇坂へ。「オーストリア大使館」があり、「桐澤邸」はその向かい側にあったそうです。


オーストリア大使館前

 歴史的伝説の残る「一本松」、コンクリート製で昭和洋館建築の「阿部美樹志邸」、「元麻布ヒルズフォレスト」、「西町インターナショナル・スクール」などの高級外国人街。昔は武家屋敷にあった「がま池」、がま池が流れ込む谷間に残る昭和レトロの「中里長屋」。とにかく面白い。


元麻布からの六本木ヒルズ

 老舗レストラン「満天星」で洋食ランチ、老舗商店で買い物を堪能。昼食後は名刹「善福寺」で弘法大師ゆかりの「柳の井戸」、樹齢750年の天然記念物「逆さ公孫樹」、福沢諭吉の墓やアメリカ総領事ハリスの記念碑などなど、遺産だらけです。
 仙台藩の屋敷跡前の仙台坂上に上ると、坂が集積するこの尾根の頂点が麻布と広尾、白金の分岐点ということを実感。平将門の乱頃創建された「麻布氷川神社」、函館戦争に参加した外交官安藤太郎夫妻の自宅である「安藤教会」、そして「有栖川公園」を通って終点広尾駅に着きました。東京のフットパスの神髄をつくような面白いコースでした。(文:神谷由紀子写真:田邊博仁)


麻布十番思い出ある記


 中学から結婚までの年月を過ごした麻布。思い出の詰まっている街を歩きました。
 地下鉄「麻布十番」駅から十番商店街を進むと、「豆源」、たい焼きの「浪花家」、「更科そば」、「小林玩具店」など、古くから営業を続ける店も残る中、洒落たカフェなどが目につきます。しかし、地下鉄が出来て羨ましい。なにせ昔は“陸の孤島”。バスしかなくて、朝早いと大きなザックやスキーを担いで六本木まで歩いたものです。十番通りから右折、鳥居坂を登ります。「国際文化会館」、「東洋英和女学院」は、その先の「鳥居坂教会」と共に、一帯の落ち着いた雰囲気を保っています
 六本木を経て訪れた「六本木ヒルズ」は正に新しい地域、と思いますが、開業は2003年とか。自分の古さを実感します。
 そこから麻布十番の方に戻って、暗闇坂を登ります。坂の右側の崖上、実家のあった一帯は、十軒位並んでいた家並みは姿を消し、大きなマンションに変わり、その上、崖の一部は削られていて「暗闇坂」は名ばかりの様相です。
 “逆さ公孫樹”…枝から多くの気根が垂れ下がる様子が、枝が逆さまに生えているように見える…で有名な「善福寺」は静謐を保ちながら、参道から見ると本堂の屋根越しに一寸(妙に)目立つ高層マンションが迫り、落胆の思いもあります。が、都内で「浅草寺」に次ぐ古刹を眺め続ける樹齢750年の公孫樹の姿は、ずっとそこに居続けて欲しいと願う私の気持ちを充分に受け止めてくれているようでした。(文:桐澤宏)


参道からの善福寺とマンション(写真:田邊)
2022.12.17 12:00 | 固定リンク | フットパス
フットパス専門家講座 多摩丘陵の12古街道フットパス① 八幡太郎・源義家が歩いた奥州古街道
2022.12.07

[ 講師:古街道研究家宮田太郎]

北海道の皆さんと歩いた中世小山田氏の馬牧跡と鶴見川水源地

12月7日(水)天気:晴参加人数:18名


 「今までに行った場所で、本当に一番の素晴らしいところでした。感動しました!」と、町田市小山田の奥州古道フットパス・ウォークに4人のお仲間(女性陣)を北海道から連れてきてくださった小川浩一郎さんから、とても嬉しいご感想をいただきました。北海道の全域のみならず全国、そして海外までフットパス遠征しておられる小川さんがそう思われた理由は何だったのか。もちろん、今まで行ったところで一番…というのは、全国で?関東で?いや町田近辺で?…そこまではお伺い出来なかったのですが、いずれにしても町田市域においての最良のコースである「奥州古道コース」。北海道の皆さん、東京・多摩・町田エリアから集まった皆さんと共に楽しめたことで、2022年を締め括るには最良の一日になりました。

 実は事前に発表していたコースは、寒中であることも考慮して八王子市の「京王堀之内」から歩く「古代甲州道」だったのですが、小川さん一行が来られるとお聞きし、急遽、多摩丘陵で最も古代・中世の風景や遺跡・伝承が残る唐木田・小山田コースに変更したのでした。ところが、連絡が不行き届きだったようで、北海道の皆さんは京王堀之内駅に来られてしまうというハプニングもあり、ご迷惑をおかけしてしまいました(お詫び)。幸い携帯電話ですぐに連絡がつき、双方の駅がわりと近いこともあり、タクシーで駆け付けてくださり、ほっとした次第です。


小山田緑地の奥州古街道を歩く

 コースは小田急多摩線「唐木田」駅南側に広がる「東京国際カントリークラブ」の中の古道跡へと進み、また唐木田駅に戻る約6Kmの行程。一帯は平安時代末期~鎌倉時代初めにかけて、鎌倉幕府の有力御家人となった小山田氏の居住地域であり、馬の飼育や調練のための流鏑馬(やぶさめ)馬場、馬駆けの道が集中するエリアです。


小山田氏の馬駆け場跡の一つ(地元伝承)

 小山田六人兄弟の三男の重成は、後に現在の川崎市麻生区や高津区一帯に領地を持って稲毛三郎と名乗り、北条政子の妹を娶り、源頼朝とは義兄弟でもある身内人となりました。小山田は彼ら兄弟が育った故郷でもありますが、それ以前の時代から京都から東北の仙台多賀城(陸奥国府)に続いた「奥州古街道(奥州古道)」のルートにもあたります。平安時代には東日本の荘園へと向かう西国の貴族たちや役人、僧侶が往来。さらには東北地方で育てられた馬を朝廷に献じるための古街道でもありました。
 また、源頼義や義家(八幡太郎)が軍勢を率いて何度も往来した峠越えの長い道でもあります。その伝説は小山田地域のみならず、町田の木曽・日野市百草・府中市の大國魂神社周辺へと一直線に続くように残り、当時のルートを物語っています。
 また下小山田のゴルフ場内の切道しの地層には、当時の踏み跡も延々と続くかのように残されており、実はとても貴重な歴史文化財ゾーンなのです。


大久保台の小径は日差しも柔らかい

 フットパス当日はお陰さまで快晴となり、大妻女子大の隣接地にかつてあった棚原城跡を通る鎌倉道に入りました。農地との境目の垣根状の樹間から、まるで切り取った額縁の中の一幅の絵のような「鶴見川源流の原風景ポイント」があり、みなさまと遠くの相模大山や富士山を眺めました。タイムマシンに乗って平安時代に遡ったような景色に思わず歓声が上がりました。また、そこにある「多摩よこやまの道」の解説板の一つ「小山田氏物語の解説板」も私が想いを込めて作成したものなので、手作りの資料と共に紹介させて頂きました。


鶴見川源流の原風景ポイント

 その先の展望地=通称「語り部の丘(心温まる六部塚伝説や巡礼の道のロマンを語る丘)」では、巡礼街道(①宝暦年間の武相観音巡礼道②西日本と東日本の霊場や有名な社寺を巡る東西巡礼古道)のことや実際に見つかった石塔の話、鎌倉幕府の末期に行われた元弘の役(1333年)の古戦場の話、平安時代の奥州古道の人馬往来の踏み跡(切通しに残る古道遺構)、戦国時代の武田信玄家臣団の隠れ里のこと、小山田氏の居城や調練馬場跡(「都立小山田緑地・馬場窪」)、小山田小太郎の隠れ穴、武士と地元の乙女との悲恋伝


晩秋の小山田緑地の奥州古街道を歩く

説、太田道灌の陣城、下小山の鶴見川水源地…と、それは実に豊富な歴史に包まれた美しい風景が残るエリアを楽しみました。
 このコースは、自分自身も大好きなコースであり、毎年春や秋には必ず実施しています。また今年も皆さまからのご要望があればぜひ開催し、この素晴らしき歴史遺産風景をまた歩きたいと思います。(文と写真:宮田太郎)

初めてのフットパス


 初めてのフットパス、大変感激しました。石清水八幡宮で元服し、八幡太郎義家と称した源義家の話からこのツアーは始まります。平安時代末期の後三年の役で奥州征伐を果たすも、義家の勢力を恐れた朝廷は義家に一切の支援をしなかった。にもかかわらず、義家は私財をはたいて部下の功を賞したことが坂東武者の信頼を厚くし、後の頼朝の鎌倉幕府創設につながる。義家が奥州征伐に向かったのが、奥州古道であったというのが今回のツアーのプロローグです。
 この奥州古道のある現在の町田・多摩・八王子一帯を支配していたのが横山一族で、その姻戚関係にあった小山田氏は、ここに城を構え、頼朝時代は大そうな勢力だったようです。ところが、世は執権北条氏の時代になり没落したものの、戦国時代になって武田信玄の家臣として再び活躍。そして、江戸時代から今日へと続く歴史を持った地が当地であります。
 私は2年前に町田(原町田1丁目)に越し、町田は新宿にも横浜にもアクセスはいいし、駅前はにぎわっている都心に近い住宅地という印象でした。今回このツアーに参加し、この地の歴史を学び、浅学を甚だ恥じ入るばかりです。宮田先生には、鶴見川水源地、古道断面露出、「大泉寺」、「小山田緑地」や「よこやまの道」等時々冗談も交えながら、説明いただき、その知識の豊富さには驚くばかりでした。次回、別の古道探索にもぜひ挑戦してみたいと感じた次第です。
(文:延吉良一)


アサザ池にてご参加のみなさまと(写真:田邊)
2022.12.07 12:00 | 固定リンク | フットパス