•  フットパス活動の記録

他のまちのフットパスをみてみよう涼風をもとめて御嶽渓谷を歩く
2023.07.22
[ 講師:小林 道正]

渓谷の地形と河原の石、名水の秘密を探る

7月22日(土) 天気:晴参加者:11名

 JR青梅線「沢井」駅→多摩川の川原<石拾い>→清流ガーデン「澤乃井園」<石の標本づくり・昼食>→「小澤酒造」<酒蔵・仕込み水見学>→「御嶽渓谷」<散策>→「玉堂美術館」・砂金探し→JR青梅線「御嶽」駅
 小澤酒造は「澤乃井には2種類の名水があることで美酒を造ることができます」と説明しています。「2種類の名水」とは何でしょうか。それは奥多摩の地質が大きく関わっています。 「秩父中古生層」という古生代から中生代に形成された地層のことです。この地層の岩石を多摩川の川原で拾い集め「石の標本」を作ります。
 そして多摩川では「砂金採り」がブームになっています。上流に武田信玄の隠し金山といわれている「黒川金山」があり、長い年月をかけて流れ下って来たらしいです。









湧き水の説明図 砂金採りの例



涼しい東屋で石の標本作り(写真:横山) 小石の標本

1.川原で石拾い
涼風を求めて多摩川の川原に下りてみると凄まじい暑さでした。日陰がないのと河原の石の照り返しで予想以上です。ゴムボートでラフティングを楽しんでいる若者達が羨ましかったです。



御岳渓谷の急流を下るラフティングゴムボート

 ここでは御嶽渓谷の地形と河原の石について説明し、石の標本箱を作っていただく予定でしたが、真夏の炎天下では熱中症が心配なので、小石を拾ってもらうだけにしました。
 小石は、標本箱に入る大きさに注意して、色や模様の違うものを少し多めに拾うようにしました。石の色は水に濡らすと鮮やかになります。白、黒、灰色、青、緑色、赤などいろいろあることに気付いていただけました。色の違いによって丸いものやゴツゴツして角張っていることに気付いた方もいましたが、木陰へ移動することにしました。
 2.清流ガーデン「澤ノ井園」で石の標本づくり清流ガーデン澤ノ井園はお昼時前で空いていました。東屋のテーブル席に座ると涼しい風が吹いてホッとしました。ここで「小石の標本」を作ってもらうことにしました。
 ここで拾える石は、泥岩、砂岩、礫岩、チャート、石灰岩、凝灰岩などの堆積岩です。これらの小石を用意した箱の中に並べて、接着剤で貼り付けます。次にニスを塗ってツヤを出すと色が鮮やかになります。最後にラベルを貼って完成です。
 理科の勉強みたいですが、たいへん楽しそうに取り組んでいました。お店では買うことのできない大切なお土産になったと好評でした。




小石の標本


3.「小澤酒造」の見学
2種類の名水を見学しました。一つは「蔵の井戸」と云われている蔵の裏山を140mも掘り進んだ横井戸から湧き出ているミネラル分の多い「中硬水」です。もう一つは「山の井戸」と云われている多摩川の対岸の山奥から導いている「軟水」です。





4.「御岳渓谷」を歩く
御嶽渓谷は、誰でも安全に散歩ができる遊歩道が整備されています。木陰のおかげで涼しく歩くことができました。
遊歩道を外れて川原に下りてみると、褶曲した地層のチャートが観察できます。大小のポットホールがあり、その成因について話し合うことで長い長い時間の流れを感じてもらいました。



5.美術館鑑賞と砂金探し
日本画の巨匠・川合玉堂を鑑賞する人と、川原に下りて砂金探しをする人に別れて活動しました。ゴールのJR「御嶽」駅までは歩いて10分程度です。



(文と写真:小林 道正)



銘酒「澤乃井」を醸す水ありて

 記録的な猛暑の中、涼を求めて奥多摩の渓谷を歩きました。実際街中に比べて3℃以上低い感じ。フットパスはほぼ緑の木陰になっており、谷を渡る風も爽やかで、暑さは気になりませんでした。今回のテーマは奥多摩の地質です。川岸には巨岩が露出し河原も石がゴロゴロしており、大地の成り立ちを考えるのにはよいところだと思います。JR奥多摩線「沢井」駅前に集合。小林先生の先導の下、先ず多摩川の河原へ。そこで河原の石の種類と地質学的な起源について解説がありました。砂岩、泥岩、石灰岩、チャートなど一億年以上前の中生代から古生代ものとのこと。各種の石ころを探して小さな標本箱を作りました。
 昼食後は奥多摩の蔵元・「小澤酒造」を見学しました。内部は思った以上に広く、奥行きがあり、案内の方の解説も興味深いものでした。印象的だったのは岩盤をくりぬいた中の醸造用の水の井戸です。奥多摩の地層を抜けたミネラルに富んだ地下水で、銘酒「澤乃井」が醸(かも)されるわけです。



その後川沿いに歩いて遡りました。夏は草木が葉を繁らせる時期で花は少ないのですが、道沿いにオレンジ色のノカンゾウの花が点々と咲いていました。道は川の流れから10mぐらいの高さです。そこに生えているということは、増水の時そこまで種が流されて来るのでしょうか。河原に転がる巨岩とともに自然の猛威を感じました。
最後は「玉堂美術館」の前で砂金採りです。今回はダメでしたが粘れば採れたかもしれません。盛りだくさんの楽しい一日でした。



(文と写真:森 正隆)

2023.07.22 12:57 | 固定リンク | フットパス
他のまちのフットパスをみてみよう麻布十番はどんなまち?
2023.07.09
[ 講師:みどりのゆび神谷 由紀子 ]
謎の多い麻布十番から白金台地を深掘りすると

7月9日(日) 天気:曇参加者:12名

前回は麻布十番から六本木など、港区の北側の麻布台地を巡りました。今回は麻布十番から四ノ橋経由で南側の白金台地を歩きました。白金というとセレブの邸宅のあるリッチな地域というイメージがありましたが、行ってみるとむしろ町人を中心とした下町が主体となった、落ち着いたまちでした。もともと麻布地域は南斜面の丘陵地で、白金は主に共有地でした。四代家綱、五代綱吉の時代に江戸城から半径3~4kmにある、麻布、白金の郊外に大名の下屋敷などが置かれ商人町もできました。景観や古川という水運にも恵まれ、昔から自然も人間の生活も豊かだったのでしょう。それが現在も高級な地域のイメージの割にはどことなく丁寧で暖かな人情があって、好感をもたれる理由ではないかと思えます。

今回のコースは仙台坂上から四ノ橋に南下します。かなり面白いのでお勧めです(暑くなければ)。
麻布十番駅→商店街→暗闇坂→阿部 美樹志邸→氷川神社一安藤教会→一本松→仙台坂上→薬園坂→釣堀坂→本村町貝塚→四ノ橋→白金商店街→三光坂→服部ハウス(服部金太郎邸)→聖心女子学園→雷神神社→白金北里商店街(昼食)→明治坂→医科研→港区郷土歴史館→悪水溜→国立科学博物館附属自然教育園→都立庭園美術館→白金台又はJR目黒駅
■麻布の発展は綱吉の「白金御殿」に始まった
「四乃橋」の北側、ちょうどいまのイラン大使館のあたりに江戸幕府の薬草園がありました。綱吉は眺めのよいここが気に入り、「白金御殿」を建築しました。これによって麻布の商店街や古川周辺の開発が進んだのです。薬草園は小石川に移転しました。
■太古は海岸だった(地形図参照):「釣堀坂」、「本村町貝塚」
釣堀坂を下った辺りが入り江で、そこから貝塚のある「本村町住宅2号館」の裏の崖が太古には海岸線であり、この海岸線を降りる坂が「薬園坂」で、浜辺の古川に接するところが「四ノ橋」なのです。
後ろの高台には綱吉の白金御殿、目の前には白金の草原が広がっていました。「四之橋」は江戸時代にピクニックの名所で、浮世絵にも描かれています。日本橋からの距離は約7㎞、徒歩だと約90分。橋の南には茶店や料亭が広がりました。
これが今の白金商店街の始まりです。




麻布十番白金地形図



歌川広重『名所江戸百景 広尾ふる川』(四ノ橋)
1856年(安政3年)

■大名屋敷から芸術的建築物へ:「聖心女子学園」、「東大医科学研究所」
丘陵地であるので山手には大名の下屋敷が多くありましたが、明治以後学校などになりました。聖心女子学園が明治41年に建設されました。正門は建築家ヤン・レツルの設計で、初等科の美しい校舎はアントニン・レイモンドです。



聖心女子学園正門前でみなさまと(写真:田邊)

「東大医科学研究所」は、明治25年に北里柴三郎が設立した「伝染病研究所」が明治39年に現在の場所に移転され、その後東京帝国大学付属になりました。安田講堂と同じ内田祥三の設計で造られたゴシック風の重厚な建物で、隣接する「旧国立公衆衛生院(現在は港区立郷土歴史館)」と共に保全されています。





「東大医科学研究所」正門と「旧国立公衆衛生院」(写真:田邊)

■水源池の跡:「聖心女子学園」・「東大医科研」・「悪水溜」
「東大医科学研究所」の木々の生い茂る窪地にかつて川の水源の池があり、ここから聖心女子学園を通って支流が古川に流れ込んでいました。医科研の西側には医科研によってせき止められた窪みができ、明治時代「悪水溜」と称され付近の下水を地下に浸透させていたそう。今回のウォークで、皆で煉瓦の擁壁がかなり長い範囲で残っているのを見つけたのは大収穫でした!


「白金台の悪水溜」の赤煉瓦の擁壁(写真:田邊)

■白金という地名
現在の「自然教育園」と「東京都庭園美術館」の広大な敷地には、室町時代に「白金長者」の館があったといわれ、その土塁跡が今も残っています。江戸時代には大名下屋敷に、明治時代には陸海軍の火薬庫に、そして大正時代には皇室の御料地となりました。
(文と資料:神谷 由紀子)



安藤教会(写真:横山)



「白金台の悪水溜」と現代のイメージの落差を楽しむ

麻布十番から白金へと今日のコースの概要を聞いたとき、地域の歴史や由緒もきっと華やかなフットパスになると思った。ま、ちょっと古いが「シロガネーゼ」という流行り言葉があったように、グルメやファッションそしてカフェや洋菓子を求めて、あの寅さん風にいえば「粋な姉ちゃんがチャラチャラ歩いてる」そんな街がイメージされた。
「薬園坂」を古川傍に下りるとその南側一帯は、印刷所や町工場が多いところだとの説明を受けた。後日港区のHPを覗いてみたら「白金、誇りの町工場」と自衛隊用の特殊なラッパを造っている工場の写真が載っていたので、このあたりは昔ながらの白金の記憶を残す下町感あふれる場所なんだと、そのイメージの落差が楽しめた。
目黒通りから北西に入ると結構な坂が下っていて、向こう側の高台を目にすることができる。底は悪水溜。スリバチ学会の皆川さんは言う、「この先に谷があるから、下りてまた上る坂になっている。Ⅴ字型の谷ではなくて、スプーンで掬ったようなスリバチ状の谷が東京にはたくさんあるのです」。ここ悪水溜は白金台にある、四方向とも閉じられた一級のスリバチ地形とのこと。「東京23区凸凹地図」には、「旧悪水溜」溜池の名残として煉瓦造の擁壁が残されている。貴重な一級スリバチ地形、と記されている。
「白金台の悪水溜」とつぶやいてみると、それは京極夏彦の妖怪話か、周五郎や周平の哀感あふれる時代世話物か、正太郎の梅安か犯科帳か、何か白金のイメージとは全く違う物語が紡ぎ出されるような思いにとらわれる。(文:岩崎 英邦)



「東京都庭園美術館」にて、お疲れさまでした!(写真:田邊)

2023.07.09 11:52 | 固定リンク | フットパス