•  フットパス活動の記録

鶴川フットパス 鶴川(能ケ谷)の四つの古民家を巡る
2025.01.26
[ 講師:浅黄 美彦 神谷 由紀子 田邊 博仁 ]

鶴川の土地や開発の歴史を顧みながら四つの古民家を巡ります

1月26日(日) 天気:晴 参加者:31名

 小野路宿がフットパス発祥の地とするならば、千都の杜のあるかつての能ケ谷の森は、そのきっかけとなった場所でもあります。
 鶴川駅周辺は空も大きく、なんだかのどかな雰囲気が漂うのは、かつて多摩丘陵の自然の中に集落が点在する豊かな場所であった由縁でしょうか。そんな集落のひとつが能ケ谷で、今でもその面影が随所に残っています。最初に訪ねる駅前の「鶴川香山園(つるかわかごやまえん)」は、池泉回遊式庭園と書院造りの建物(瑞香殿)がある名家の邸跡で、昨日開園したばかりの都市公園です。ここを起点としてみなさんにお見せしたい鶴川駅周辺のフットパスコースがいくつもできそうな予感がします。


鶴川香山園・瑞香殿をバックに参加者と(写真:田邊)


開園した池泉回遊式庭園と瑞香殿(1906建立)(写真:田邊)

 津久井道を東へ少し歩き、鈴木工務店の当主が代々受け継いできた築150年の茅葺古民家「可喜庵」へ。江戸末期に造られた古民家の内部で、住まいの模型展示や古本市を眺めた後、建築家でもある現当主の鈴木さんから、古民家ながら快適な暮らしの研究の場にもなっていることや、茅葺屋根の葺き替えのこと、先に見た香山園の瑞香
殿の棟梁は先々代当主であることなど、興味深い話をお聴きすることができました。


可喜庵古民家と当主からの説明風景

 江戸の道であり谷道になっている津久井道から妙行寺の境内を上り、多摩丘陵のエッジからの眺望を楽しむ。はるか三輪の大木の樹形がくっきりと見えました。
 丘の上は、かつての能ケ谷の森を開発した大規模住宅分譲地「千都の杜」。隣接する平和台に住む神谷さんより、開発前の能ケ谷の原風景のことや開発の経緯、反対運動のことなどを話していただきました。開発を止めることはできませんでしたが、所有者、周辺の方々、開発者などが歩み寄り、折り合いをつけながら今の千都の杜があるようで、緑道のネットワーク、尾根沿いの緑地の配置、擁壁を緑で隠す、高い緑被率などの配慮に繋がっていったようにも感じられます。


千都の杜住宅地

 住宅地の緑道を進むと、能ケ谷神社に繋がっています。「能ケ谷神社」は、真光寺川の東側の丘の上、住宅地の一画にある小さな神社という佇まい。かつては能ケ谷村の鎮守としてランドマークだったのでしょう。神社は区画整理地事業地内に組み込まれ、開発完成当初は禿山となっていたのが20数年を経て、立派な神社の森となっています。戦前、白洲次郎・正子夫妻は能ケ谷に居を構えますが、近くに東照宮(合祀され大正期に能ケ谷神社となる)があることと、造詣の深い「能」の字を冠した地名に縁を感じたからだと、白洲正子の『鶴川日記』に書いていました。
 屋根の葺き替えのこと、先に見た香山園の瑞香殿の棟梁は先々代当主であることなど、興味深い話をお聴きすることができました。

 神社から平和台の住宅地を抜けると三番目の目的地「みんなの古民家」となります。
 みんなの古民家のオーナー石川さんから、江戸末期に造られた古民家のこと、今もカマドで火が炊かれていること、1977年まで暮らしていた母屋を2014年からレンタルスペースとし、シェアキッチン、マルシェなどを開催。古民家を開放していく、まさに「みんなの古民家」利活用のお話を聴くことができました。保存でも移築でも解体でもなく、その場でありのままに古民家をたくましく利活用する優れた事例と感じました。


「みんなの古民家」で石川さんのお話を聞く(写真:田邊)

 昼食はみんなの古民家周辺のいくつかの飲食店に分散してとり、最後の「武相荘」へ。
 白洲次郎・正子夫妻が1943年に転居してきた藁葺屋根の古民家は見事にリノベーションされ、英国のカントリーハウスといった趣も感じられます。現在の旧白洲邸「武相荘」は記念館・資料館として一般公開されています。この日はちょうど骨董市が開催されており、敷地内は入場無料で入ることができました。
 武相荘の骨董市を眺めて、四つの古民家を巡るフットパスを終了しました。
(文と写真:浅黄 善彦)


武相荘

「鶴川の四つの古民家を巡るフットパス」に参加して

 町田市鶴川駅近くに、地域の文化的財産を再生した市立公園「鶴川香山園(つるかわかごやまえん)」が1月25日に開園した。それを近隣の古民家が祝う「鶴川OMOTENASHI祭り2025」イベントがあり、NPO法人みどりのゆびもフットパス・里山歩きツアーを企画し、浅黄さんに教えていただき参加した。理事長の高見沢邦郎先生に久しぶりにお会いできた。
 出発点は、神蔵家の灸治所として親しまれていたという香山園。瑞香殿が、レストランとして整備されている。1906年に鈴木工務店の先々代が建築した端正な表情の建物である。
 次の「可喜庵」は鈴木工務店の茅葺建物である。江戸時代末頃に隠居用の建物として建築されたとご当主からお聞きした。15年前に行われた茅葺の葺き替え時には、市民の方々も作業に参加したという。色々な集まりが企画されて、気持ちよいスペースをつくっている。工務店事務所の建物も色彩や材料の使い方が粋で、素敵な建物だ。
 蓮の絵で知られる「妙行寺」の裏手を登って、大規模住宅開発地の「千都の杜」へ。かつては能ヶ谷の森として親しまれた緑地で、開発反対運動を経て、緑の多い質の高い住環境を形成している。
 三つ目の「みんなの古民家」は石川家のかつての母屋で、今も囲炉裏など、時々は火が使われている。離れは民泊に使われ、ジンバブエなど海外からの宿泊者との交流が持続的になされている。
 また、撮影スポットとしても有名。農の営みを大切にして、近くにある有名な里地の寺家町で古代米を栽培したり、野菜を敷地内で栽培している。最後は、有名な「武相荘」。骨董市が開かれていた。流石に茅葺屋根は凛として風格がある。
 スタンプラリーで4つの古民家を訪れて、出発点の香山園に戻り、くじ引きができた。中には3等を引き当てた方もいて、幸先の良い年明けのイベントでした。
(文:若林 祥文)



スタンプラリー3等賞を祝福(写真:田邊)

2025.01.26 22:10 | 固定リンク | フットパス
他のまちのフットパスをみてみよう 高尾山「ダイヤモンド富士」と自然とのふれあい
2024.12.20
[ 講師: 小林 道正 ]

年1回だけのダイヤモンド富士と、ムササビとの遭遇を期待して



12月20日(金) 天気:曇り 参加者:9名

 高尾山からの富士山の眺めは格別です。夕日が富士山の山頂に沈むのはもっと格別です。しかし今年は残念ながら雲に覆われて見ることはできませんでした。


2024年12月20日15時10分


2024年12月22日16時16分

 高尾山から見る富士山に夕日が沈むのは冬至の日(12月21日)と前後1日の数日間だけです。下記の資料は東京の「日入の位置」と「日出と日入の時刻」です。日入の太陽の位置が高尾山から見て最も南寄りのところに富士山があります。そして冬至の日に最も昼が短くなりますが、日出が最も遅い日と日入の最も早い日は冬至ではなくズレているのが不思議ですね。




高尾山山頂で記念写真

 「ダイヤモンド富士」は残念ながら見ることができませんでしたが、それでも今回のフットパスが満足いっぱい感激いっぱいになれたのはムササビの飛翔が見られたからです。巣穴の下で待ち受ける私たちの頭の上を、そして目の前を飛んで森に消えて行きました。さらに、その映像を記録できたことで何度も感動を振り返ることができました。


ムササビが頭の上を飛んだ!

 高尾山にはたくさんのムササビが住み着いています。それはムササビが食事をした痕や糞を見つけられることや、多くの巣穴があることから確認できます。
 高尾山には1300年の歴史のある薬王院があります。修験道の道場として神聖な山が守られ、時の権力者からも篤く保護されてきました。そのおかげで多種多様な自然が残っています。

 冬の季節の人気は「シモバシラ」です。地面から氷の柱が成長する霜柱ではなく、シモバシラという植物の茎に氷の華ができるのです。


「氷の華」といわれるシモバシラ

 12月になっても、真っ赤に紅葉したメグスリノキの葉が残っていました。モミジやカエデの仲間です。プロペラのような種子を見れば分かりますが、その大きさにビックリします。


メグスリノキの葉


一番上がメグスリノキ、一番下
がイロハモミジの種子もありました

 キジョランの実と種子もありました。ウリのような実が縦に割れて白い綿毛の種子が風になびいています。この白い綿毛が鬼の老婆が髪を振り乱している様子を連想させて鬼女蘭と命名されました。
 キジョランにはもう一つの魅力的な話題があります。この葉っぱを食草としているアサギマダラは、数百kmもの渡りをするといわれています。秋に卵から孵った幼虫はキジョランの葉っぱを食べながら冬を越します。これだけでも驚きですね。幼虫の葉っぱの食べ方に特徴があります。キジョランの葉っぱには毒があるからです。初めに円を描くように噛んで筋を付けます。すると円の内側の毒が白く染み出てきます。そうしてから内側の葉っぱを食べるのだそうです。




キジョランの実と綿毛のついた種子


アサギマダラの幼虫とキジョランの葉っぱ

 高尾山内には、四国八十八カ所の札所の土と一緒にお大師像が建立されています。今回は約半分の三十五カ所をお参りしました。次回は是非「八十八大師巡拝結願」していただきと思います。


弘法大師が祀られている四天王門(写真:田邊)
(文と写真:小林 道正)

「高尾山からダイヤモンド富士を見る」に参加して



 前日は初雪がちらつく寒い天気でしたが、当日はそこまで寒さを感じませんでした。今回のフットパスの見どころは、高尾山の多様な自然体系としての植物、頂上から見る雄大な景色としての富士山、そして珍しいムササビの生態です。
 山頂へ向かう途中、高尾山の多様な植物について小林先生に解説してもらいましたが、ハイライトのダイヤモンド富士は雲に邪魔され今回は不発に終わりました。ただ、ムササビの飛翔する姿が見られて感激しました。
 高尾山にムササビが生息していることは知っていましたが、夜行性でもあり、実際に飛翔する姿を、それも眼前を通ること一瞬でしたが、自分にぶつかるのではないかと思うほどに遭遇することができました。もともと里山の人家周辺にも棲んでいる身近な動物で、巣穴から出て採食を始めるのは日没の30分後と決まっているということです。高尾山には巣穴を作る大きな樹木と餌になる樹種も多く、さらに滑走ができる高い木も多く植生している環境がお気に入りのようです。今回の観察場所は建物の軒下という少し特別な場所でしたが、他にもムササビの巣穴を教えていただきました。これからもムササビが観察できる高尾の山の自然環境を残していく事ができれば良いと実感いたしました。
 ケーブルの頂上駅で購入した「天狗焼」は家族で好評でした。黒豆の入った味も素晴らしく、最高のお土産となりました。
(文:太田 義博)
2024.12.20 17:07 | 固定リンク | フットパス
他のまちのフットパスをみてみよう 八王子「いちょう祭り」を歩きメタセコイア化石と琥珀を探す
2024.11.17
[講師:小林道正]

甲州街道のイチョウ並木を歩いて浅川の河川敷に出ると



11月17日(土) 天気:晴 参加者:11名

 多摩御陵造設の記念樹として770本のイチョウの木が宮内庁から八王子市に贈呈され、甲州街道に植樹されました。お祭りは毎年11月に「いちょう祭り」と命名され開催しています。


「いちょう祭り」には多くの露店が建ち並ぶ(右端:道標)

 ここ追分町は、甲州街道と陣馬街道の分岐点があることから名付けられました。江戸時代に足袋屋清八という商人が、ここに道標を立てました。追分町には「八王子千人同心」の碑があります


甲州街道のイチョウ並木(2023年秋)

 八王子同心とは、八王子地域の治安維持を主な目的として、武田氏の家臣だった千人頭と配下の同心が家康に召し抱えられ、1000人の同心が任命されました。千人頭1名に100名の同心がつく構成でした。幕府の体制が整い世の中が安定すると、

 千人同心に命じられた重要な役目は、家康が祀られた東照宮の「日光火の番」で幕末まで続きました。
 追分の分岐点から八王子市役所まで陣馬街道を進み、本日楽しみにしていたレストラン「六文銭」まで歩きます。


日替わリランチ「栗ご飯とハンバークといろいろ」1,100円


レストラン「六文銭」の前で記念写真(写真:田邊)

 イチョウとメタセコイアは中生代のころに栄えていましたが、現在は絶滅したと考えられていました。しかしどちらも中国に生き残っていたことから「生きている化石」と言われています。




「八王子千人同心」の碑と西八王子駅前のメタセコイア

 メタセコイアの化石は、八王子市役所の北を流れる浅川の河川敷にあり、八王子市の天然記念物に指定されています。


メタセコイアの巨木の化石


年輪が確認できる


琥珀の欠片も見つかる

 この河川敷にはメタセコイアの巨木の化石がたくさんあります。そして、周辺からゾウの歯や牙も発見されました。230万年前の八王子はメタセコイアの林の中をゾウの群が歩き回っていたのかも知れません。
 今回のように八王子の街をイチョウとメタセコイアを関係づけながら歩いてみると、今までと違った発見があるものです。
(文と写真:小林 道正)


浅川河川敷周辺(写真:森)

メタセコイアの化石林で



 晩秋とは思えないよく晴れて暑いぐらいの朝、JR西八王子駅に集合。駅前のメタセコイアの木の前からスタートしました。メタセコイアは黄葉する針葉樹で円錐型の大木。その下で、今日のテーマの一つである「メタセコイアの化石林」に関して小林先生から学術研究の歴史の解説がありました。
 すぐ近くの甲州街道沿いを歩きます。有名なイチョウ並木はまだ緑のものが多いですが、ちょうど「いちょう祭り」が開かれていました。沿道には様々な工夫を凝らした出店があり、地元の方の地域愛が感じられました。この付近は地名を「千人町」といい、徳川家が甲州方面からの防衛のために武田家の遺臣を置いた「八王子千人同心」の名残です。市役所近くのレストランで昼食。美味で気持ちの良いところでした。
 市役所の横を流れる浅川の河原が今回の目的地です。白っぽい地層がむき出しになっており、一部に黒いものが見えます。メタセコイアの巨木の根元がそのまま化石になったものです。年輪がくっきりと見えますが、炭化して真っ黒で、触ると硬く感じます。ここでは230万年前のゾウの化石も見つかっていて、それが歩き回る大森林だったそうです。
 化石の表面はバラバラに砕けており、カケラが拾えます。琥珀(こはく)は太古の松ヤニの化石ですが、そこまで至っていないものをコパールといいます。先生に見せてもらって頑張って探しましたが、私はダメでした。代わりに見つけたのがネナシカズラ。葉緑素を持たず根も葉もない黄色いつる性の寄生植物で、10月の横浜自然観察の森で見つからなかったのがここで出合いました。


ネナシカズラ

(文と写真:森 正隆)
2024.11.17 16:40 | 固定リンク | フットパス
フットパス専門家講座 阿佐ヶ谷から西永福町までを歩く
2024.11.09
[ 講師: 浅黄 美彦 ]
武蔵野に象徴される東京の郊外を探訪
11月9日(土) 天気:晴 参加者:23名

 阿佐ヶ谷といえば中央線沿線の代表的な郊外住宅地であり、文士が住み名画座がありながら、北口の飲み屋街、パールセンターなど古い商店街がある様々な顔をもつまちです。今回の阿佐ヶ谷フットパスでは、そうした阿佐ヶ谷らしい場所も通りつつ、「武蔵野に象徴される東京の郊外を川・古道・神社・商店街など」をチェックポイントに、武蔵野の原風景(古層)も訪ねてみました。JR中央線阿佐ヶ谷駅南口に集合。ざっとコースのアウトラインを説明し、まずは駅から見える「中杉通り」と「阿佐ヶ谷パールセンター」という新旧の道を眺めてみました。
 戦後すぐ、青梅街道から阿佐ヶ谷駅をまっすぐに結ぶ都市計画道路と並行した古道にある阿佐ヶ谷パールセンター。東京都初の歩行者専用道指定されたアーケード商店街は、中杉道路があってこその人のための道として栄えたようです。新旧の道が支え合ってまちの魅力となっている稀有な事例でもあります。その古道を北へ少し歩くと、かつてのケヤキ屋敷を抜け、阿佐ヶ谷神明宮を訪ねました。村々を結ぶ古道は、集落の道と繋がり、旧家と神社のある村の構造を垣間見せてくれます。


阿佐ヶ谷パールセンター


中杉通りのケヤキ並木

 阿佐ヶ谷の総鎮守から南へ歩き、古本屋のある小さなアーケード、飲み屋街の細道を抜け、名画座「ラピュタ阿佐ヶ谷」を訪ね、再び阿佐ヶ谷パールセンターへ。少し曲がった道の商店街には道祖神もあり、この道が古い道であることを教えてくれます。


阿佐ヶ谷神明宮にて参加者のみなさまと
(写真:田邊)

 青梅街道を横切り、戦前からの郊外住宅地にある「ドーモ・アラベスカ」へ。参加者の山本さんの計らいとオーナーの富田さんのご好意により、住宅の内部を見ることができました。


ドーモ・アラベスカ外観

 富田玲子さん設計の素敵な住宅をあとに、緩やかな坂を下ると旧阿佐ヶ谷住宅跡地に出ます。現在は高級マンションが建っています。日本住宅公団のエース津端修一と前川國男事務所の大高正人らによる珠玉のテラスハウスが集合する団地で、そのありようを語りながら善福寺川に向かいました。


かつての阿佐ヶ谷団地

 ここからは善福寺川沿いの気持ちのいい道を南に歩きます。この心地よい空間は、戦前の風致地区指定、昭和30年代初めの都市計画緑地・公園の決定など、都市計画の成果のひとつでもあります。その公園内にある「孤独のグルメ」でも登場した釣り堀のある食堂「武蔵野園」で昼食としました。


武蔵野園

 昼食後はのんびりとさらに川沿いを下り、杉並博物館へ。ここはかつての嵯峨侯爵別邸、愛新覚羅浩はこの場所から結婚式場となる九段会館までパレードした歴史ある地でもあります。緑濃い善福寺川の周辺は、戦前富裕者の別邸が点在していた場所であったことを教えてくれます。


杉並博物館にて集合写真(写真:田邊)

 いよいよ最後の目的地、大宮八幡宮へ。このあたりは、善福寺川沿いの緑地と特別緑地保全地区に指定されている神社の緑地が折り重なり、深い森のように見えます。中央線阿佐ヶ谷駅近くの阿佐ヶ谷八幡宮から、古道と川沿いを歩いていただき、井の頭線西永福町駅近くの大宮八幡宮というルートで、ちょっと変わった杉並の姿を見ていただきました。


善福寺川と緑地


大宮八幡宮
(文と写真:浅黄 美彦)

憧れのドーモ・アラベスカに感動!


 私はかつて、吉祥寺と西荻窪からほど近い東京女子大学に通っていたので、杉並の中でも西荻は馴染みのあるまちでした。しかし阿佐ヶ谷は未開拓。阿佐ヶ谷でぱっと思いつくのは「阿佐ヶ谷姉妹」くらいでした(笑)。とはいえ 2024 年はミニシアター「ポレポレ東中野」で、杉並区に岸本聡子区長が誕生するまでの映画「映画◯月◯日、区長になる女。」を観た こともあり、私にとって杉並は23 区の中で胸熱なまち!・・・というわけで、「N P O法人みどりのゆび」の案内チラシを拝見し、ぜひにと「阿佐ヶ谷フットパス」に申し込みました。
 お天気にも恵まれ、充実の阿佐ヶ谷探訪に大満足でした。開催日の 11 月 9 日は七五三撮影の最盛期だったようで、阿佐ヶ谷神明宮は晴れ着を着た家族でいっぱい。みなさん一様に晴れやかな顔で、私も幸せのお裾分けをいただきました。賑やかな商店街を抜け、住宅地に入ると細い路地の両側には「道路拡幅反対」ののぼり旗が。
 「おお、この道が青梅街道から五日市街道までの事業予定区間である補助 133 号線なのか」と映画のロケ地を巡っているような気持ちにもなりました。その後は、内覧を楽しみにしていた象設計集団、富田玲子さんのご実家ドーモ・アラベスカ(現・高橋邸)へ。富田さんは東大の建築学科第1号の女子学生だったそうで、憧れと共に玄関をくぐりました。
 1974 年に建てられたという洞窟のような家には、多彩な蔵書や美術品、可愛らしいキッチン雑貨がギュギュッと詰まっていて、日常と非日常が渾然一体となったインテリアに直接触れられることにも感動しました。「床暖房はとっくの昔に壊れちゃって、冬は寒くて大変ですよ」とジョーク混じりに話す、富田さんの息子さんのお家解説も楽しかったです。


ドーモ・アラベスク内部
(文と写真:宇野津 暢子)
2024.11.09 23:29 | 固定リンク | フットパス
他のまちのフットパスをみてみよう 江戸下町情緒が残る「谷根千」の“今“を歩く
2024.11.07
[ 講師:田邊 博仁 ]

江戸の町割りを残す根津と、
古民家リノベーションの谷中の今を歩く



11 月7日(土) 天気:快晴 参加者:13名

 根津は、根津神社の門前町として栄え、庶民のまちとして賑わってきました。江戸時代の町割りを継承している路地、木造の建物や軒先などに溢れる緑など、むかしの古き良き佇まいを残し、懐かしさを感じさせます。歩いていてホッとする空間です。


元藍染川(区境)の路地


路地のゲストハウス


古民家の「花木屋」


三軒長屋の古民家店舗

 また、根津には古民家を改築した建物が多い。大正初期の木造三階建て建物を改築した「はん亭」、明治の古いレンガ造りの蔵を改装した「うどん釜竹」、また、緑に囲まれた路地のゲストハウス、「花木屋」や三軒長屋の古民家店舗、廃業した銭湯をリニューアルした「SENTO」などを見て歩きました。


古い蔵を保存「うどん釜竹」


銭湯を再整備した「SENTO」

 次に、不忍通りを渡り、大正8年に建てられ、関東大震災でも東京大空襲でも焼けなかった根津教会、根津遊郭の跡地のモニュメントを見て、根津神社へ向かいました。
 根津神社の創建は1706年。当時の建物は現存して、修復作業が行われた極彩色の美しい楼門などは見事です。青空には大イチョウが鮮やかでした。


日本基督教団根津教会


極彩色の桜門


境内の鮮やかなイチョウの木


根津神社の桜門をバックに、本日の参加者のみなさま

再び不忍通りを渡り、へび道、よみせ通りをぶらぶら歩き、谷中ぎんざ界隈で昼食です。


谷中ぎんざ(写真:宇佐美)

 午後は、築約100年の日本家屋をリノベーションした建物(「錻力屋」、「銅菊」、「小倉屋質店」)、江戸時代の「観音寺築地塀」や「絵馬堂」、「のんびりや」、古書「鮫の歯」などを見ながら、谷中霊園へ。参道の明治からの老舗花屋「花重」に「花重谷中茶屋」がオープン(2023年)していました。


絵馬堂(休業中)


古書「鮫の歯」

 そして、昭和13年に建てられた三軒屋を再生した「上野桜木あたり」、明治23年創業の「谷中岡埜栄仙」、「旧吉田谷酒店」を見て上野へ向かう。2025年に創建400年を迎える「寛永寺」では、創建記念として「根本中堂」の天井に初めて天井絵が奉納されます。境内の徳川歴代将軍15人のうち6人が眠る「徳川家霊廟」を外から見学しました。


寛永寺根本中堂


国際子ども図書館へ向かう

 最後に、明治時代に「帝国図書館」として建てられ、2002年に「国際子ども図書館」として全面開館された建物を見学しました。明治・昭和・平成の三つの時代に造られた建物が一体となり、貴重な建築遺産を保存利用しながら、新しい機能と空間を合わせもつ図書館として再生されました。この建物は現在、東京都の「歴史的建造物」に選定されています。明治時代のシャンデリア、元貴賓室の寄せ木細工の床や天井の鏝絵(こてえ)や柱など、帝国図書館として創建された当時を知ることができました。


国際子ども図書館

(文と写真: 田邊 博仁)


昔ながらの路地や建物が残り、中身は”今“という粋なしゃれっ気



 昔ながらの雰囲気を残した谷中・根津・千駄木・上野界隈を見て歩きました。特に印象に残ったのは、戦火や地震の被害を免れた通りにあるいわゆる「レトロ建物」でした。その多くが、今でもさまざまな方の努力で大切に残り、リノベーションされ、現役として生まれ変わっています。外観は昔の良き風情を残しながら、内部の雰囲気は現代風という店舗は「そこ」にマッチしていて、人気があるのもわかります。その中で気になった建物をいくつか紹介します。
最初は根津の「はん亭」です。1917年(大正6年)建築の木造三階建てを改築工事、串揚げ屋として営業しています。1999年(平成11年)有形登録文化財に登録されました。ここの面白いところは道路拡張時にセットバックした箇所を切断し、ガラス張りにしてさらにそこに鉄の矢来を施し、断面が通りから見えるようにしているところです。


串揚げやはん亭

しかし裏の路地から見ると、三階建ての木造建築がしっかりと残っており、現代と昔が外観で共存している建築になっているのがおしゃれです。
根津では他にレトロな建物として古い石蔵を利用したうどん屋、「宮の湯」という銭湯をリノベしたカフェや「束子(たわし)屋」なども、昔の面影を残しながら中は綺麗に改築されていて、粋でおしゃれな作りです。ここも路地にあり、地元に溶け込んでいました。


谷中ビアホール

上野に向かう途中、上野桜木あたりの「谷中ビアホール」、パン屋や日本初の塩とオリーブオイルの専門店が、木造二階に店舗を開いておりました。外観は昔の家屋ですが、その良さがしっかりと残っていて、どの店舗も外国人観光客含め多くの人で賑わっていました。
地元の人が利用している昔からの路地や建物が今でも残り、タイムスリップした錯覚すら覚えながらも、生活の中身は今の時代になっている、そんな「ここでしか見られない場所」を堪能した1日でした。

(文と写真:太田 義博)
2024.11.07 16:53 | 固定リンク | フットパス