他のまちのフットパスをみてみよう 奥多摩駅の周辺を歩く
2024.07.06
[ 講師: 小林 道正]
ダム建設と石灰石運搬でできた 地域の残照の魅力
7月6日(土) 天気:晴のち曇 参加者:13名
JR奥多摩駅は標高343mの東京都で最も高いところにある駅で、山小屋風の駅舎が人気です。土日は多くの登山者で賑わっています。
山小屋風の奥多摩駅舎
「奥多摩駅」は昭和19年にセメントの原料となる石灰石を運搬する鉄道に「氷川駅」という名称で開業しました。戦後になって東京都民の飲料水を確保する「小河内ダム」を建設するために、資材運搬の拠点として大きな役割を果たしました。
<コース紹介>①JR奥多摩駅⇒②奥多摩ビジターセンター⇒③奥多摩工業曳鉄線⇒④奥氷川神社・多摩川の河原(昼食)⇒⑤東京都水道局小河内線(廃線跡)⇒⑥奥多摩むかし道⇒①JR奥多摩駅
コースMAP
奥多摩は『東京の屋根』とよばれるほどの山地で、雲取山(2017m)を頂点にして急峻な山と深い谷が集まっています。地質は古生代と中生代の泥岩や砂岩、チャートなどの他に石灰岩が多く分布しています。
歴史的には『甲州裏街道』とよばれる武蔵国と甲斐国を結ぶ旧青梅街道が通り、交易路として人々が往来していました。
<①JR奥多摩駅から②奥多摩ビジターセンターへ>
「奥多摩ビジターセンター」は自然や文化について分かりやすく展示し解説してくれる施設です。最近は熊の目撃情報や被害が多発しているために、ツキノワグマの生態や習性について剥製や骨格標本を使って解説しています。
<③奥多摩工業の曳鉄線(ひきがねせん)>
「奥多摩工業」は石灰石を採石して運搬している会社です。石灰石はセメントの原料となる貴重な鉱物資源で、多くの建物や道路などを造り発展してきました。近年の石灰石は新しい素材として注目され、紙の原料、食品添加物、化粧品などに利用されているそうです。
「曳鉄線」は「えいてつせん」とか「ひきがねせん」と読まれています。トロッコをロープで繋ぎ線路の上をエンドレスで回している仕組みの鉄道で、スキー場のリフトのイメージです。昭和28年から現在も現役で稼働中です。
杉林の中に鉄橋とトンネルが見えてきました。残念ながら動いていませんでしたが、複線の線路の上にロープに繋がれたトロッコが4台停車していました。左側の線路に乗った2台には石灰石が乗せられ、右側は空でした。
石灰石を運ぶ無人トロッコ
石灰石の採石場は5km先にあり、トンネルと鉄橋で結んで線路を敷き、無人のトロッコを使って石灰石を運搬しています。70年前は空中を通るリフト方式でしたが、需要が増えて運搬量を増やすためにトンネルを掘って地中を通すようにしたそうです。運搬量の増加だけでなく、費用と安全性も格段に向上したそうです。
トロッコ1台の積載量は3t。径32mmのロープで276台のトロッコを36m間隔で繋いでいます。動くスピードは秒速2mとのことでした。
<④奥氷川神社>
さいたま市の「氷川神社」、所沢市の「中氷川神社」とともに『武蔵三氷川』として有名です。
『御神体』の『三本杉』があります。お昼のお弁当は多摩川と日原川が合流する河原で美味しくいただきました。
<⑤⑥東京都水道局小河内線の軌道跡>
「小河内ダム」を建設するために昭和27~32年に使われていた資材輸送用の貨物線跡です。ダム完成後は西武鉄道が観光列車を走らせる計画だったそうです。しかし、採算性や安全性が確保できなかったのか実現することはありませんでした。
線路跡に沿って『奥多摩むかし道』があり、歩くことができます。旧青梅街道です。
JR奥多摩駅に戻ってビールで乾杯しました。
貨物線跡のトンネルの上で手を振るみなさま
奥多摩駅でビールで乾杯!
(文と写真:小林 道正)
石灰石を運ぶトロッコと、トンネルや 線路跡が深い杉林に包まれて
奥多摩駅は『関東の駅百選』の一つで、昭和19年に開業した海抜343mに位置する木造建築。趣のある駅舎です。駅舎のあちこちにツバメの巣があり、ツバメたちも大勢の登山客や観光客を迎えてくれていました。
先ずは「奥多摩ビジターセンター」で奥多摩の成立ち、自然や熊の生態などを受講。奥多摩の初歩的な知識を享受することができました。
奥多摩駅周辺は急峻な山々で、その中腹まで宅地化されており、アクセスの道路も急勾配です。降雪もあることから、コンクリート舗装には溝が刻まれており、冬期の運転は厳しいものと感じられました。
最初の目的地は「石灰石を採掘精製している奥多摩工業㈱」で、氷川鉱山で採掘した石灰石を運搬する森の中を5km走るトロッコ線路(かつては276台を32mmのワイヤーで連結)と鉄橋、トンネルを観ることができました。
午後からの「奥多摩むかし道」は旧青梅街道で全長は奥多摩駅から奥多摩湖までの10kmですが、今回は槐木(サイカチの木)までのアップダウンの約2kmのコース。並行して小河内ダム建設で資材を輸送した貨物線のレールやトンネル・鉄橋跡を間近で観られ、トンネル内を歩くこともできました。最終地「槐木」のサイカチノの木は樹高15m、幹回り3mの大きなサヤがぶら下がることでも知られる古木で、土地の名称にもなっています。
多摩川の源流と急峻な山を背景に、産業遺産や土木遺産に触れながらの楽しい奥多摩駅周辺のフットパスでした。
奥多摩駅2階のカフェ「ポートおくたま」ではクラフトビールが飲めます。最後に「参加された13名の皆さんお疲れさんでした」で乾杯!
ほどよい疲れを感じながらそれぞれ帰路に着きました。
(文:浅野 敏明)
貨物線跡のトンネルから出てきたみなさま(写真:田邊)
ダム建設と石灰石運搬でできた 地域の残照の魅力
7月6日(土) 天気:晴のち曇 参加者:13名
JR奥多摩駅は標高343mの東京都で最も高いところにある駅で、山小屋風の駅舎が人気です。土日は多くの登山者で賑わっています。
山小屋風の奥多摩駅舎
「奥多摩駅」は昭和19年にセメントの原料となる石灰石を運搬する鉄道に「氷川駅」という名称で開業しました。戦後になって東京都民の飲料水を確保する「小河内ダム」を建設するために、資材運搬の拠点として大きな役割を果たしました。
<コース紹介>①JR奥多摩駅⇒②奥多摩ビジターセンター⇒③奥多摩工業曳鉄線⇒④奥氷川神社・多摩川の河原(昼食)⇒⑤東京都水道局小河内線(廃線跡)⇒⑥奥多摩むかし道⇒①JR奥多摩駅
コースMAP
奥多摩は『東京の屋根』とよばれるほどの山地で、雲取山(2017m)を頂点にして急峻な山と深い谷が集まっています。地質は古生代と中生代の泥岩や砂岩、チャートなどの他に石灰岩が多く分布しています。
歴史的には『甲州裏街道』とよばれる武蔵国と甲斐国を結ぶ旧青梅街道が通り、交易路として人々が往来していました。
<①JR奥多摩駅から②奥多摩ビジターセンターへ>
「奥多摩ビジターセンター」は自然や文化について分かりやすく展示し解説してくれる施設です。最近は熊の目撃情報や被害が多発しているために、ツキノワグマの生態や習性について剥製や骨格標本を使って解説しています。
<③奥多摩工業の曳鉄線(ひきがねせん)>
「奥多摩工業」は石灰石を採石して運搬している会社です。石灰石はセメントの原料となる貴重な鉱物資源で、多くの建物や道路などを造り発展してきました。近年の石灰石は新しい素材として注目され、紙の原料、食品添加物、化粧品などに利用されているそうです。
「曳鉄線」は「えいてつせん」とか「ひきがねせん」と読まれています。トロッコをロープで繋ぎ線路の上をエンドレスで回している仕組みの鉄道で、スキー場のリフトのイメージです。昭和28年から現在も現役で稼働中です。
杉林の中に鉄橋とトンネルが見えてきました。残念ながら動いていませんでしたが、複線の線路の上にロープに繋がれたトロッコが4台停車していました。左側の線路に乗った2台には石灰石が乗せられ、右側は空でした。
石灰石を運ぶ無人トロッコ
石灰石の採石場は5km先にあり、トンネルと鉄橋で結んで線路を敷き、無人のトロッコを使って石灰石を運搬しています。70年前は空中を通るリフト方式でしたが、需要が増えて運搬量を増やすためにトンネルを掘って地中を通すようにしたそうです。運搬量の増加だけでなく、費用と安全性も格段に向上したそうです。
トロッコ1台の積載量は3t。径32mmのロープで276台のトロッコを36m間隔で繋いでいます。動くスピードは秒速2mとのことでした。
<④奥氷川神社>
さいたま市の「氷川神社」、所沢市の「中氷川神社」とともに『武蔵三氷川』として有名です。
『御神体』の『三本杉』があります。お昼のお弁当は多摩川と日原川が合流する河原で美味しくいただきました。
<⑤⑥東京都水道局小河内線の軌道跡>
「小河内ダム」を建設するために昭和27~32年に使われていた資材輸送用の貨物線跡です。ダム完成後は西武鉄道が観光列車を走らせる計画だったそうです。しかし、採算性や安全性が確保できなかったのか実現することはありませんでした。
線路跡に沿って『奥多摩むかし道』があり、歩くことができます。旧青梅街道です。
JR奥多摩駅に戻ってビールで乾杯しました。
貨物線跡のトンネルの上で手を振るみなさま
奥多摩駅でビールで乾杯!
(文と写真:小林 道正)
石灰石を運ぶトロッコと、トンネルや 線路跡が深い杉林に包まれて
奥多摩駅は『関東の駅百選』の一つで、昭和19年に開業した海抜343mに位置する木造建築。趣のある駅舎です。駅舎のあちこちにツバメの巣があり、ツバメたちも大勢の登山客や観光客を迎えてくれていました。
先ずは「奥多摩ビジターセンター」で奥多摩の成立ち、自然や熊の生態などを受講。奥多摩の初歩的な知識を享受することができました。
奥多摩駅周辺は急峻な山々で、その中腹まで宅地化されており、アクセスの道路も急勾配です。降雪もあることから、コンクリート舗装には溝が刻まれており、冬期の運転は厳しいものと感じられました。
最初の目的地は「石灰石を採掘精製している奥多摩工業㈱」で、氷川鉱山で採掘した石灰石を運搬する森の中を5km走るトロッコ線路(かつては276台を32mmのワイヤーで連結)と鉄橋、トンネルを観ることができました。
午後からの「奥多摩むかし道」は旧青梅街道で全長は奥多摩駅から奥多摩湖までの10kmですが、今回は槐木(サイカチの木)までのアップダウンの約2kmのコース。並行して小河内ダム建設で資材を輸送した貨物線のレールやトンネル・鉄橋跡を間近で観られ、トンネル内を歩くこともできました。最終地「槐木」のサイカチノの木は樹高15m、幹回り3mの大きなサヤがぶら下がることでも知られる古木で、土地の名称にもなっています。
多摩川の源流と急峻な山を背景に、産業遺産や土木遺産に触れながらの楽しい奥多摩駅周辺のフットパスでした。
奥多摩駅2階のカフェ「ポートおくたま」ではクラフトビールが飲めます。最後に「参加された13名の皆さんお疲れさんでした」で乾杯!
ほどよい疲れを感じながらそれぞれ帰路に着きました。
(文:浅野 敏明)
貨物線跡のトンネルから出てきたみなさま(写真:田邊)
三浦半島 観音崎の植物観察
2024.06.29
フットパス専門家講座 三浦半島観音崎に海岸植物を訪ねて
2024.06.22
フットパス専門家講座 三浦半島観音崎に海岸植物を訪ねて
[ 講師:日本植物友の会会長 山田 隆彦 ]
戦前の陸軍要塞史跡に濃い植物群
6月22日(土) 天気:晴 参加者:12名
三浦半島の観音崎に、海岸植物を訪ねた。この地は、明治時代に陸軍が要塞としていたところで、戦後、公園として整備され、一般に開放された。自然が長く保たれていたこともあり、植物が豊富である。6月23日の予定が、雨予報であったので、前日の22日に繰り上げての観察会となった。事務局の適切な判断で、青空の下、海岸植物を中心にたくさんの植物を訪ねることができた。
海岸は、強風、強い日差し、水不足、塩の飛散、強い紫外線など厳しい環境にある。その厳しい海岸に生育する植物を海岸植物と呼ぶ。他の植物との生存競争を避けることを選んだ植物達だ。今回観察した海岸植物のいくつかを紹介する。
タイトゴメベンケイソウ科
草丈は、5~12cmで黄色の小さな花を密生して咲かせる植物で、円柱形の葉は光沢があって分厚い。これは、水分を貯め乾燥に耐えるためで、また光沢があることで、強い太陽の光を反射する働きがある。名前は、高知県の方言で、「大唐米」とよばれた下等な米粒に葉の形が似ていることからついたという。本州(関東以西)、四国、九州の海岸の岩上に分布する。
タイトゴメ
ハマダイコンアブラナ科
花は、ほとんど終わっていたが、ところどころに淡紫色の花が残っていた。ダイコンが野生化したものといわれ、栽培されているダイコンとは、根が肥大しないだけで、他に区別点はない。果実は数珠状にくびれているが、熟しても裂けずに、くびれた所から切れ、海水に運ばれて散布する。
実際に果実が海面に浮くか試して見た(下の写真
参照)。
『新牧野日本植物圖鑑』には、ダイコンが野生化したものなので、肥料をやって栽培すると、ふたたび普通のダイコンになると書かれている。余談だが、長さが世界一(1.7m)といわれる大阪府守口市原産の守口大根は、ハマダイコンから淘汰されてできた品種である。
ハマダイコン
ハマダイコンの果実。海水に浮く
ハマダイコンの果実。熟すとバラバラになる
イワダレソウクマツヅラ科
イワダレソウは漢字で「岩垂草」と書き、よく岩から茎が垂れ下がって生えているので、この名がある。円柱状の穂状で直径2mmほどの小さな花をうろこ状の苞の間につける。地面を這い、草丈を低くして、丈夫な根を張り、風に飛ばされないようにしている。この果実もコルク質になっていて、海水に浮き、遠くに運ばれ分布を広げている。葉は暑くタイトゴメと同じように紫外線からの保護や水分貯蔵の役目をしている。
イワダレソウ
ヤマユリユリ科
海岸植物ではないが、森の中で、濃厚な香りと共にあちらこちらで見られた。日本特産種であり、東北地方~近畿地方ではふつうに見られるが、北海道・北陸・中国地方・四国・九州には自生はなく、あれば栽培品が野生化したもので、自然分布の狭い植物である。花には黄色のよく目立つ筋があるが、この筋は蜜の在り処を示し、蜜標となっていて、昆虫を誘導する道筋である。
ヤマユリ。黄色い筋に注目
涼しい海風を背に受け、ムラサキニガナやムクロジ、ネジバナ、マサキ、アサザなどの花を見ながら一日の観察を終えた。
(文と写真:山田 隆彦)
観音崎植物ウォーク
今回のコースは京急線「浦賀」の近く、三浦半島から東京湾に突き出す観音崎です。海岸に出ると房総半島が見え、海上をコンテナ船などが行き交っていました。ここは元軍港・横須賀の入り口にあたり、永年一般人の立ち入りができなかったため、昔ながらの海浜の樹林が残されています。夏至直後の光線が強烈でしたが林の中の遊歩道なので気にならず、海風が吹いて快適でした。
最初に目に入ったのは深い緑の樹林とガクアジサイの花です。歩く途中どこでも咲いていました。海沿いの道を歩くとマサキ、トベラ、カミヤツデなど潮風(しおかぜ)に強い木々が次々と現れます。普通の植物は塩害で枯れてしまうため独特の植物相が形成されています。
道は林の中に続きます。少し高低差はありますが、木が鬱蒼としており探検気分です。途中、地名の基となった海食洞の観音様や「観音埼灯台」(有料なので入っていません)を通り、旧陸軍が作った砲台の跡やトンネルなどもありました。植物はフウトウカズラやヤナギイチゴなど。戦没船員の碑前の公園で昼食。近くで見つけたネジバナやムクロジの花について先生のお話で盛り上がりました。
海から離れた道沿いでヤマユリに出合いました。林縁でひときわ目立つものです。その後整備された公園のゾーンに入り、カラフルなアガパンサス(紫)、池の中の黄色いアサザの花やオレンジ色のヌマツルギクが印象に残りました。歩きながら会話がはずんだ楽しい一日でした。
マサキ
ムクロジ
ガクアジサイとヤマユリ
ヌマツルギク
(文と写真:森 正隆)
[ 講師:日本植物友の会会長 山田 隆彦 ]
戦前の陸軍要塞史跡に濃い植物群
6月22日(土) 天気:晴 参加者:12名
三浦半島の観音崎に、海岸植物を訪ねた。この地は、明治時代に陸軍が要塞としていたところで、戦後、公園として整備され、一般に開放された。自然が長く保たれていたこともあり、植物が豊富である。6月23日の予定が、雨予報であったので、前日の22日に繰り上げての観察会となった。事務局の適切な判断で、青空の下、海岸植物を中心にたくさんの植物を訪ねることができた。
海岸は、強風、強い日差し、水不足、塩の飛散、強い紫外線など厳しい環境にある。その厳しい海岸に生育する植物を海岸植物と呼ぶ。他の植物との生存競争を避けることを選んだ植物達だ。今回観察した海岸植物のいくつかを紹介する。
タイトゴメベンケイソウ科
草丈は、5~12cmで黄色の小さな花を密生して咲かせる植物で、円柱形の葉は光沢があって分厚い。これは、水分を貯め乾燥に耐えるためで、また光沢があることで、強い太陽の光を反射する働きがある。名前は、高知県の方言で、「大唐米」とよばれた下等な米粒に葉の形が似ていることからついたという。本州(関東以西)、四国、九州の海岸の岩上に分布する。
タイトゴメ
ハマダイコンアブラナ科
花は、ほとんど終わっていたが、ところどころに淡紫色の花が残っていた。ダイコンが野生化したものといわれ、栽培されているダイコンとは、根が肥大しないだけで、他に区別点はない。果実は数珠状にくびれているが、熟しても裂けずに、くびれた所から切れ、海水に運ばれて散布する。
実際に果実が海面に浮くか試して見た(下の写真
参照)。
『新牧野日本植物圖鑑』には、ダイコンが野生化したものなので、肥料をやって栽培すると、ふたたび普通のダイコンになると書かれている。余談だが、長さが世界一(1.7m)といわれる大阪府守口市原産の守口大根は、ハマダイコンから淘汰されてできた品種である。
ハマダイコン
ハマダイコンの果実。海水に浮く
ハマダイコンの果実。熟すとバラバラになる
イワダレソウクマツヅラ科
イワダレソウは漢字で「岩垂草」と書き、よく岩から茎が垂れ下がって生えているので、この名がある。円柱状の穂状で直径2mmほどの小さな花をうろこ状の苞の間につける。地面を這い、草丈を低くして、丈夫な根を張り、風に飛ばされないようにしている。この果実もコルク質になっていて、海水に浮き、遠くに運ばれ分布を広げている。葉は暑くタイトゴメと同じように紫外線からの保護や水分貯蔵の役目をしている。
イワダレソウ
ヤマユリユリ科
海岸植物ではないが、森の中で、濃厚な香りと共にあちらこちらで見られた。日本特産種であり、東北地方~近畿地方ではふつうに見られるが、北海道・北陸・中国地方・四国・九州には自生はなく、あれば栽培品が野生化したもので、自然分布の狭い植物である。花には黄色のよく目立つ筋があるが、この筋は蜜の在り処を示し、蜜標となっていて、昆虫を誘導する道筋である。
ヤマユリ。黄色い筋に注目
涼しい海風を背に受け、ムラサキニガナやムクロジ、ネジバナ、マサキ、アサザなどの花を見ながら一日の観察を終えた。
(文と写真:山田 隆彦)
観音崎植物ウォーク
今回のコースは京急線「浦賀」の近く、三浦半島から東京湾に突き出す観音崎です。海岸に出ると房総半島が見え、海上をコンテナ船などが行き交っていました。ここは元軍港・横須賀の入り口にあたり、永年一般人の立ち入りができなかったため、昔ながらの海浜の樹林が残されています。夏至直後の光線が強烈でしたが林の中の遊歩道なので気にならず、海風が吹いて快適でした。
最初に目に入ったのは深い緑の樹林とガクアジサイの花です。歩く途中どこでも咲いていました。海沿いの道を歩くとマサキ、トベラ、カミヤツデなど潮風(しおかぜ)に強い木々が次々と現れます。普通の植物は塩害で枯れてしまうため独特の植物相が形成されています。
道は林の中に続きます。少し高低差はありますが、木が鬱蒼としており探検気分です。途中、地名の基となった海食洞の観音様や「観音埼灯台」(有料なので入っていません)を通り、旧陸軍が作った砲台の跡やトンネルなどもありました。植物はフウトウカズラやヤナギイチゴなど。戦没船員の碑前の公園で昼食。近くで見つけたネジバナやムクロジの花について先生のお話で盛り上がりました。
海から離れた道沿いでヤマユリに出合いました。林縁でひときわ目立つものです。その後整備された公園のゾーンに入り、カラフルなアガパンサス(紫)、池の中の黄色いアサザの花やオレンジ色のヌマツルギクが印象に残りました。歩きながら会話がはずんだ楽しい一日でした。
マサキ
ムクロジ
ガクアジサイとヤマユリ
ヌマツルギク
(文と写真:森 正隆)
フットパス専門家講座 奥相模野、タツゴ(龍籠)山麓の古代集落(境川源流域)を歩く
2024.06.16
フットパス専門家講座 奥相模野、タツゴ(龍籠)山麓の古代集落(境川源流域)を歩く
[ 講師:古街道研究家 宮田 太郎 ]
古代国境・境目の地域(相模原市緑区城山)のフットパス
6月16日(日) 天気:晴 参加者:15名
6月は気温を考え、午後の半日コースで開催。当日は横浜線のJR「相原」駅西口バスターミナル脇の広場に集合。気温30度ながら総勢15名の方が参加。バスを降りた相原地区の「水ノ口(みのくち)」は、私が若い頃に調査していた「相原の鍛冶谷戸」にあり、鉄鍛冶遺構に伴うノロ(鉄滓*てっさい)を採取したことがある地です。
そして大きな団地「武蔵岡住宅」を抜けて境川へ…。クレソンが群生する清流が小さく「ひ」の字型に曲折する景観は、印象的なポイントでした。
境川上流の曲折地点で
その川の曲折ポイントで神奈川県側の「広田地区」へ。付近一帯は、古墳時代から平安時代まで大集落が営まれていた「武蔵岡遺跡」であり、都・県域双方の範囲にかかる広大なものです。その中央に立つと不思議な二つの山=タツゴ山がラクダのこぶのように並んでいるのが見えます。配布資料の画像と見比べながら、みなさんも不思議な景観に見入っておられました。
タツゴ山に見入るみなさま(写真:田邊)
武蔵岡遺跡からタツゴ山を眺める
二つのタツゴ山.。広田・武蔵岡より
この山は、古代の人たちが“祖先や父母を祀る祖霊山”として、遥拝・信奉されていた可能性があり、「雄龍籠(オタツゴ)山」と「雌龍籠(メタツゴ)山」の名称と共に、雨乞いや龍伝説があります。付近の遺跡や出土物からも渡来系文化の流入を感じる特別な場所です。――そして武相の境目、山地と平野の境目にあたる展望地に立ち、古代のまちづくりに関わった官人も眺めた(?)相模野の素晴らしい景観を楽しみました。
境目の丘からの展望地で(写真:田邊)
コンビニ休憩後は謎の多い「川尻八幡宮」へ。ここは二十四節気の中の“雨水の日”(2月18日,農業を始める日)に長大な参道(全長1,200m以上)の東端から太陽が昇る不思議があります。ご参加の皆さんも、参道の先に朝日が上がってくる不思議を想像されていたようでした。
長大な参道の延長方向を眺める(川尻八幡宮)
長大な参道の延長方向を眺める(川尻八幡宮)
川尻八幡宮で(写真:田邊)
社地の「川尻八幡古墳」は天武天皇の子孫が眠るという伝説があり、実際に直刀や鉄鏃、須恵器が掘り出されています。飛鳥時代の高位官僚がこの辺を通っていた可能性を思うとき、東北地方ともつながる「奥州古街道」や「古代甲州道」の存在が頭に浮かんできます
小山・相原に多い古代遺跡の謎などを想像しつつの、歴史ロマンウォーク
3月31日の渋沢丘陵ウォーキング参加後膝痛が再発し、参加を見合わせていましたが、だいぶ良くなったことと午後からの3時間程度の短いコースだったので、リハビリを兼ねて参加させていただきました。
今回訪れた川尻・広田地区にはホタルの里・境川巡りなどで散策したことがありましたが、さすがに宮田さんのガイドで歩くと色々な歴史講義を聞いているようで大変面白く、楽しい時間を過ごさせてもらいました。なぜ小山・相原には古代の遺跡が多いのか、なぜ立派な神社・寺院が多いのか等を学び又想像したりして、歴史のロマンを感じる1日でした。
<皆さまにご参考まで>
今回途中までしか行かなかった神秘の森「春日神社」ですが,グーグルマップで「川尻春日神社」を探すと写真も見つかります。著作権があるかもしれないのでここには掲載しませんが、すぐに見つかりますのでご興味のある方はトライしてみて下さい。
「ホタルの里」は、保存会の方々が、がんばっているおかげでホタルは多く見られます。ただホタルを見るには夜(19時以降)行かなければなりませんが、あの辺はかなり暗く、バス停に戻る道をよく覚えていかないと迷子になってしまい大変です。私は帰り道が良くわからなくなり、皆さんとトイレ休憩で立ち寄ったセブンイレブンで道を聞いたのですが、町田街道はあまり詳しくないようで、教えてもらったのは相原十字路(お分かりにならないかもしれませんが)迄の道でした。30分位歩いたでしょうか、雨は降ってくるし街灯が少なく暗いしで大変でした。ご注意を!
(文;鈴木弘)
広田地区の田んぼを歩く(写真:田邊)
[ 講師:古街道研究家 宮田 太郎 ]
古代国境・境目の地域(相模原市緑区城山)のフットパス
6月16日(日) 天気:晴 参加者:15名
6月は気温を考え、午後の半日コースで開催。当日は横浜線のJR「相原」駅西口バスターミナル脇の広場に集合。気温30度ながら総勢15名の方が参加。バスを降りた相原地区の「水ノ口(みのくち)」は、私が若い頃に調査していた「相原の鍛冶谷戸」にあり、鉄鍛冶遺構に伴うノロ(鉄滓*てっさい)を採取したことがある地です。
そして大きな団地「武蔵岡住宅」を抜けて境川へ…。クレソンが群生する清流が小さく「ひ」の字型に曲折する景観は、印象的なポイントでした。
境川上流の曲折地点で
その川の曲折ポイントで神奈川県側の「広田地区」へ。付近一帯は、古墳時代から平安時代まで大集落が営まれていた「武蔵岡遺跡」であり、都・県域双方の範囲にかかる広大なものです。その中央に立つと不思議な二つの山=タツゴ山がラクダのこぶのように並んでいるのが見えます。配布資料の画像と見比べながら、みなさんも不思議な景観に見入っておられました。
タツゴ山に見入るみなさま(写真:田邊)
武蔵岡遺跡からタツゴ山を眺める
二つのタツゴ山.。広田・武蔵岡より
この山は、古代の人たちが“祖先や父母を祀る祖霊山”として、遥拝・信奉されていた可能性があり、「雄龍籠(オタツゴ)山」と「雌龍籠(メタツゴ)山」の名称と共に、雨乞いや龍伝説があります。付近の遺跡や出土物からも渡来系文化の流入を感じる特別な場所です。――そして武相の境目、山地と平野の境目にあたる展望地に立ち、古代のまちづくりに関わった官人も眺めた(?)相模野の素晴らしい景観を楽しみました。
境目の丘からの展望地で(写真:田邊)
コンビニ休憩後は謎の多い「川尻八幡宮」へ。ここは二十四節気の中の“雨水の日”(2月18日,農業を始める日)に長大な参道(全長1,200m以上)の東端から太陽が昇る不思議があります。ご参加の皆さんも、参道の先に朝日が上がってくる不思議を想像されていたようでした。
長大な参道の延長方向を眺める(川尻八幡宮)
長大な参道の延長方向を眺める(川尻八幡宮)
川尻八幡宮で(写真:田邊)
社地の「川尻八幡古墳」は天武天皇の子孫が眠るという伝説があり、実際に直刀や鉄鏃、須恵器が掘り出されています。飛鳥時代の高位官僚がこの辺を通っていた可能性を思うとき、東北地方ともつながる「奥州古街道」や「古代甲州道」の存在が頭に浮かんできます
小山・相原に多い古代遺跡の謎などを想像しつつの、歴史ロマンウォーク
3月31日の渋沢丘陵ウォーキング参加後膝痛が再発し、参加を見合わせていましたが、だいぶ良くなったことと午後からの3時間程度の短いコースだったので、リハビリを兼ねて参加させていただきました。
今回訪れた川尻・広田地区にはホタルの里・境川巡りなどで散策したことがありましたが、さすがに宮田さんのガイドで歩くと色々な歴史講義を聞いているようで大変面白く、楽しい時間を過ごさせてもらいました。なぜ小山・相原には古代の遺跡が多いのか、なぜ立派な神社・寺院が多いのか等を学び又想像したりして、歴史のロマンを感じる1日でした。
<皆さまにご参考まで>
今回途中までしか行かなかった神秘の森「春日神社」ですが,グーグルマップで「川尻春日神社」を探すと写真も見つかります。著作権があるかもしれないのでここには掲載しませんが、すぐに見つかりますのでご興味のある方はトライしてみて下さい。
「ホタルの里」は、保存会の方々が、がんばっているおかげでホタルは多く見られます。ただホタルを見るには夜(19時以降)行かなければなりませんが、あの辺はかなり暗く、バス停に戻る道をよく覚えていかないと迷子になってしまい大変です。私は帰り道が良くわからなくなり、皆さんとトイレ休憩で立ち寄ったセブンイレブンで道を聞いたのですが、町田街道はあまり詳しくないようで、教えてもらったのは相原十字路(お分かりにならないかもしれませんが)迄の道でした。30分位歩いたでしょうか、雨は降ってくるし街灯が少なく暗いしで大変でした。ご注意を!
(文;鈴木弘)
広田地区の田んぼを歩く(写真:田邊)
他のまちのフットパスをみてみよう フットパスの新段階地域ごとに「つどい」を
2024.05.16
他のまちのフットパスをみてみよう フットパスの新段階地域ごとに「つどい」を
[ 講師:神谷 由紀子 ]
各地からの参加が地域活性化の応援に
5月16日(木)~17日(金)天気:曇のち晴 参加者:2名
フットパス協会のコロナ以後の新しい試みとして、5月16,17日に行われた新潟の「浦佐フットパスのつどい」は大成功を収めました。年一回だけの全国大会では交流機会が足りず、 地域ごとの「ミニ集い」が検討されています。浦佐のフットパスはその最初の実験です。
詳細は【浦佐フットパス|体験ツアー編関東・東北のミニ集い/2024.5.16】
https://youtu.be/q4flY2ywAXo?si=ZJ8Mo76Fo_VWmQcg
および続編の【セミナー編】でご覧ください。
北海道のエコネットワークの浦佐訪問をきっかけに、まず東北地方及び関東地方でさっと集まれるグループで東北支部の「ミニ集い」をやってみようということになりました。北海道のグループの他に、福島県西郷村の北浦さん、福島の山尾さん、歴史古街道団の鶴巻さん、「みどりのゆび」から伊藤さん、神谷、そして「フットパス協会」から尾留川さんが参加しました。
フットパス関東・東北のミニ集い
1日目は越後三山など浦佐の絶景が続くフットパスメインコースでしたが、主力ガイドの皆さんのそれぞれの人生と地域に根差す暮らしに基づいた説明が穏やかで豊かで、いかにもフットパスらしいご案内でした。夜にはセミナーが開催され、各地域からのエールだけでなく南魚沼市や新潟県担当者から力強い支援の言葉がありました。
2日目は地元の関さんに浦佐の街中を初めてゆっくりご案内いただき、内陸にありながら昔は長井市と同じように水運のまちであったことに驚きました。小さなまちなはずなのにもっとゆっくり見てみたり皆さんと話してみたい、また訪れたいと思える地域でした。
「浦佐まちづくり協議会」の関さんと川上さんが徹夜しながらたった10年ほどの間にフットパスをいくつも開発し、立ち寄り拠点をいくつも創り、会館を新開店し、地域に層の厚い協力的な人々の組織を創り上げてきたということが隅々までよくわかりました。二人とも元は行政職員だったこともあり南魚沼市さらには新潟県から強力な支援まで取り付け、「つどい」を開催できるまでに成長していたということに本当に驚きました。改めて地域力というものを実感しました。どのような地域にも有能な人材がいます。フットパスはこのような人材が活躍しやすい環境を作ることができるものだと改めて理解しました。
浦佐のように各地にはそれぞれしっかりした人材が創っているフットパスがあり、いつでも「つどい」が開催できるほどに育っています。このような地域がつどいを重ねることによって相互にもっと多くの交流機会を重ねることで、これからの地域活性化の根幹となることと信じています。今回の浦佐の実験はそのことを非常に明確にしたものでした。
巻機山
越後三山(写真:伊藤)
難関部分も楽しい
ミヤマエンレイソウも発見!
昔は魚野川を利用した水運商業地:船着き場
浦佐フットパス道標
(写真:伊藤)
浦佐毘沙門堂(写真:伊藤)
(文と写真:神谷 由紀子)
フットパス関東・東北のミニ集会に参加して
新潟県南魚沼郡浦佐で行われた関東・東北のミニ集会に参加して来ました。
浦佐フットパスは、魚沼地域の自然を活用した小さな観光の試験的ツアーとしていますが、内容はとても濃いものでした。特にガイド役を歴史や逸話に詳しい地元の方々がつとめ、知識が豊富で地元愛に溢れている様子が伺えました。またコースがコンパクトで見所が多く分かり易かったです。携わる方々の想いが参加者に伝わることが大切ですね。
参加者は31名で、各地のフットパス団体、地元新潟県の行政機関の方々と幅広い顔ぶれでした。これも主催者である「浦佐地域づくり協議会」の方々の努力の賜物と思います。交流会では、地酒八海山が振る舞われ、ほろ酔い気分で想いや課題を語り合えたことは有意義でした。
新潟県南魚沼では、コシヒカリの産地としてのブランド力向上と交流人口数の拡大を目的とした食のキャンペーン「南魚沼、本気丼 (マジどん)」を実施しているとのこと。
浦佐には、美味しいご飯を食べる楽しみもあり、また行ってみたいと強く思いました。
田植えを待つコシヒカリの苗。美味しいお米はここから
南魚沼、本気丼(マジどん)
(文と写真:伊藤 右学)
[ 講師:神谷 由紀子 ]
各地からの参加が地域活性化の応援に
5月16日(木)~17日(金)天気:曇のち晴 参加者:2名
フットパス協会のコロナ以後の新しい試みとして、5月16,17日に行われた新潟の「浦佐フットパスのつどい」は大成功を収めました。年一回だけの全国大会では交流機会が足りず、 地域ごとの「ミニ集い」が検討されています。浦佐のフットパスはその最初の実験です。
詳細は【浦佐フットパス|体験ツアー編関東・東北のミニ集い/2024.5.16】
https://youtu.be/q4flY2ywAXo?si=ZJ8Mo76Fo_VWmQcg
および続編の【セミナー編】でご覧ください。
北海道のエコネットワークの浦佐訪問をきっかけに、まず東北地方及び関東地方でさっと集まれるグループで東北支部の「ミニ集い」をやってみようということになりました。北海道のグループの他に、福島県西郷村の北浦さん、福島の山尾さん、歴史古街道団の鶴巻さん、「みどりのゆび」から伊藤さん、神谷、そして「フットパス協会」から尾留川さんが参加しました。
フットパス関東・東北のミニ集い
1日目は越後三山など浦佐の絶景が続くフットパスメインコースでしたが、主力ガイドの皆さんのそれぞれの人生と地域に根差す暮らしに基づいた説明が穏やかで豊かで、いかにもフットパスらしいご案内でした。夜にはセミナーが開催され、各地域からのエールだけでなく南魚沼市や新潟県担当者から力強い支援の言葉がありました。
2日目は地元の関さんに浦佐の街中を初めてゆっくりご案内いただき、内陸にありながら昔は長井市と同じように水運のまちであったことに驚きました。小さなまちなはずなのにもっとゆっくり見てみたり皆さんと話してみたい、また訪れたいと思える地域でした。
「浦佐まちづくり協議会」の関さんと川上さんが徹夜しながらたった10年ほどの間にフットパスをいくつも開発し、立ち寄り拠点をいくつも創り、会館を新開店し、地域に層の厚い協力的な人々の組織を創り上げてきたということが隅々までよくわかりました。二人とも元は行政職員だったこともあり南魚沼市さらには新潟県から強力な支援まで取り付け、「つどい」を開催できるまでに成長していたということに本当に驚きました。改めて地域力というものを実感しました。どのような地域にも有能な人材がいます。フットパスはこのような人材が活躍しやすい環境を作ることができるものだと改めて理解しました。
浦佐のように各地にはそれぞれしっかりした人材が創っているフットパスがあり、いつでも「つどい」が開催できるほどに育っています。このような地域がつどいを重ねることによって相互にもっと多くの交流機会を重ねることで、これからの地域活性化の根幹となることと信じています。今回の浦佐の実験はそのことを非常に明確にしたものでした。
巻機山
越後三山(写真:伊藤)
難関部分も楽しい
ミヤマエンレイソウも発見!
昔は魚野川を利用した水運商業地:船着き場
浦佐フットパス道標
(写真:伊藤)
浦佐毘沙門堂(写真:伊藤)
(文と写真:神谷 由紀子)
フットパス関東・東北のミニ集会に参加して
新潟県南魚沼郡浦佐で行われた関東・東北のミニ集会に参加して来ました。
浦佐フットパスは、魚沼地域の自然を活用した小さな観光の試験的ツアーとしていますが、内容はとても濃いものでした。特にガイド役を歴史や逸話に詳しい地元の方々がつとめ、知識が豊富で地元愛に溢れている様子が伺えました。またコースがコンパクトで見所が多く分かり易かったです。携わる方々の想いが参加者に伝わることが大切ですね。
参加者は31名で、各地のフットパス団体、地元新潟県の行政機関の方々と幅広い顔ぶれでした。これも主催者である「浦佐地域づくり協議会」の方々の努力の賜物と思います。交流会では、地酒八海山が振る舞われ、ほろ酔い気分で想いや課題を語り合えたことは有意義でした。
新潟県南魚沼では、コシヒカリの産地としてのブランド力向上と交流人口数の拡大を目的とした食のキャンペーン「南魚沼、本気丼 (マジどん)」を実施しているとのこと。
浦佐には、美味しいご飯を食べる楽しみもあり、また行ってみたいと強く思いました。
田植えを待つコシヒカリの苗。美味しいお米はここから
南魚沼、本気丼(マジどん)
(文と写真:伊藤 右学)