•  フットパス活動の記録

他のまちのフットパスをみてみよう 鷺宮フットパス阿佐ヶ谷から鷺宮へ
2025.05.23
[ 講師: みどりのゆび 浅黄 美彦 山本 愛子冨沢 みちこ ]

戦前からのよき街づくりの姿を体感



5月23日(金)天気:晴 参加者:17名

 昨秋歩いた「阿佐ヶ谷~西永福町」の続編です。今回は阿佐ヶ谷駅から北へ、西武新宿線の鷺宮駅まで歩きました。新たな取り組みとして「中野たてもの応援団」で活動している鷺宮在住のお二人にサポートしていただきました。前回同様に古道、神社、川(暗渠)を辿りながら、古民家、戦前の郊外住宅地、公団住宅や鷺宮ゆかりの著名人の痕跡も訪ねてみました。
 阿佐ヶ谷駅に集合、駅に近い「阿佐ヶ谷神明宮」で全体のコース説明を行い桃園川暗渠へ。暗渠とは、川や水路など水の流れに蓋をしたものです。その佇まい(景観)、うつろい(暗渠となった経過)、つながり(経路)を楽しむという「暗渠」の基礎知識を語りながら、迷路のような細道を北へ進むと「お伊勢の森児童公園」が見えてきます。


桃園川暗渠

 お伊勢の森児童公園から杉森中学校にかけての一帯はかつて「お伊勢の森」と呼ばれ、阿佐ヶ谷神明宮の旧社地であった、かつての深い森のかすかな名残りの場所としてこの児童公園が整備されているようです。
「 鷺宮神明宮」、「相澤家の旧居」跡、旧道そして「桃園川暗渠」を歩くことで、市街化する前の近郊農村としての旧阿佐ヶ谷村の様子を想像してもらいました。


お伊勢の森児童公園

 住宅地の細道を東に少し歩くと「A さんの庭」(旧近藤さんの家)、昭和初期に建てられた数軒の住宅が、生け垣をつらねて今も残る一角の中ほどに、庭木に埋もれるように、ひっそりとした佇まいを見せていたという。宮崎駿監督が、トトロが住みそうな面影の家々を訪ねた6軒のうちの一つです。
 A さんの庭ができるまでもドラマのようで、不審火で焼けてしまった戦前の住宅はありません。しかし宮崎駿監督は、家の土台や井戸、庭などを残し、家を思い出させる赤瓦のトイレを盛り込んだ公園を提案し、これが承認されて2010年に「A さんの庭」と名付け開園したそうです。A さんとはここを訪れるすべての人のこと。みんなが自分の庭のようにここを大事にしてとの思いが込められている場所は心地よく、ここで昼食をいただきました。

Aさんの庭

 早稲田通りを横断して北へ少し歩くと、2軒目のトトロの住む家、中野区白鷺の「Tさんの家」跡があります。ケヤキ並木のある集落の道沿いにあったTさんの家も、残念ながら解体されてしまいましたが、2012年、この住宅のお別れの会に出席したという案内人のお二人のお話を聞きながら、その家の面影は感じることができました。

ケヤキ並木にある白鷺のT さんの家跡

 次に訪ねた白鷺の茅葺屋根の旧家「細田家」は、幕末に移築された建物とのこと。その由来からこの建物の保存維持活動について、地元の山本さん、冨沢さんから解説をいただきました。広大な細田家の敷地の一部は、中杉通りの拡幅予定地だそうです。道路工事がなかなか進まず、時が止まったようなお屋敷となっていました。


細田家にて集合写真

 細田家を後にして、日本住宅公団の実験的なテラスハウスで作家阿川弘之・佐和子一家も住んでいた「鷺宮住宅」、将棋の「内藤九段邸」、「坪井栄の自邸」跡、「遠藤新設計の住宅」など、地元民ならではの鷺宮の見所を案内していただきました。最後に美しくよく庭が管理された「福蔵院」を訪ね、ちょうどいらした、お二人の同級生でもある住職の奥様にお話を聞き、解散としました。


福蔵院にて

 解散後に、地元の案内人のご配慮で、喫茶店「エルビエント」を貸し切っていただきましたので、美味しい珈琲をいただきながら歓談しました。
(文と写真:浅黄 美彦)


喫茶店エルビエントで

祖父・三岸好太郎の絵に今も生き続ける景色



 阿佐ヶ谷から早稲田通りを少し進むと、中野区と杉並区の境界にたどり着きます。その境界付近には、築 150 年とされる中野区最後の茅葺き民家が残っています。屋根にはトタンがかぶせられていますが、長年の重みにより傾きが進んでいる状況です。
 この貴重な建物を守ろうと、「中野たてもの応援団」は毎月第 2 日曜日の午後に集まり、 約 20 名で広大な敷地(約 1000 坪)の清掃活動を続けています。また、伝統技法研究会という建築家の団体に依頼し、中野区文化財課が古い建物の悉皆調査を行いました。700 件以上の建物を調査し、記録を残したうえで報告書も作成しました。 その中には茅葺き民家や鷺ノ宮住宅も含まれていますが、残念ながら計画道路の建設 に伴い、鷺宮八幡神社社務所とともに取り壊される可能性が高い状況です。
 私の祖父は三岸好太郎、祖母は三岸節子で、ともに画家です。祖父がデザインした三岸アトリエ(昭和 9 年築)も調査の対象となりました。祖父は「鷺ノ宮風景」という 題名の油彩画を残しています。"祖父の油彩画『鷺ノ宮風景』には、かつての妙正寺川 の穏やかな姿が描かれており、失われつつある景色がキャンバスの中で生き続けています。
(文:山本 愛子)

ご参考:「鷺ノ宮風景」三岸好太郎作
・下記に文化財遺産データーベース(文化遺産オンライン)
からご覧いただけます。
https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/233351
(みどりのゆび田邊博仁)
2025.05.23 20:51 | 固定リンク | フットパス
【緑地管理報告 5/11(日)】
2025.05.12
5月11日(日)晴れ
10:00〜12:00
参加者 7名

5月に相応しい青空の下、気持ちよく作業が出来た。
緑地班と竹林班の二手に分かれて行なった。

緑地班は布田道沿いの草刈りや茂った草地の中に道を作るように刈払機で草を刈った。
広い緑地の中に道を作るようにしたのは来月からの緑地管理がしやすいためである。
竹林班は穂先筍を切ったり密集している所の間引きをした。
下の段に行く通路の端に穂先筍を見つけたが、こういう位置のものは通路の土を固める
ために切らない方がよいらしい。

嬉しい報告2件
①緑のボランティアに新しい会員の方が参加された。
昨年12月の里山再発見ツアーに参加されたことがきっかけで、この頃はフットパスにも参加されている。

②関屋の切通し近くの倒木は本日、少年野球チームの保護者さん達が大きなチェーンで丸太切りにして
みどりのゆびの竹林管理地側に片付けられた。

大事なお知らせ
6月から集合時間が夏時間に変わります。
6月1日(日)9:30集合
(記:新納)
2025.05.12 15:15 | 固定リンク | 緑地管理
他のまちのフットパスをみてみよう町田・野津田の里山にある「浮輪寮」と野津田公園フットパス
2025.05.10
[講師:みどりのゆび 田邊博仁]

古民家を再生した浮輪寮を訪問野津田の里山を歩く


5月10日(土) 天気:小雨・曇 参加者:17名

 本日のFP(フットパス)の目玉は、「浮輪寮」です。
「野津田車庫」から、野津田の里山の小径を登ります。途中にある「浮輪寮」へのいくつかの案内板は手作りで、「ゆっくり~浮輪寮」と書かれ、浮輪寮のご主人の暖かい思いやりが伝わってきます。丘(104m)の上の「農村伝道神学校」に出て、そのキャンパスに入ると、大きなスズカケの巨木の右側に数寄屋造りの浮輪寮が見えてきました。


「ゆっくり~浮輪寮」の小径


浮輪寮と水鏡の池

「浮輪寮」の名は、1954(昭和31)年の青函連絡船洞爺丸事故で、日本人の若者に自分の救命胴衣を与えて亡くなった農村伝道神学校の創立者、カナダ人宣教師アルフレッドラッセル・ストーン牧師にちなんでいます。
 今日は「浮輪寮」内で、建築家丸谷博男先生から、ビデオを使って、浮輪寮再生にまつわるお話を伺いました。素敵なトークとまさかのピアノ演奏にビックリ、そしてご自慢の体に優しい手作りの「ホワイトカレー」をいただきました。廊下越しに解放された窓からの庭、雨に濡れた森、水が張った池も素敵でした。


数寄屋造りの天井と廊下と外の緑


建築家丸谷博男氏

 「浮輪寮」は2022年に再生され、里山の環境を学ぶ講座、古典落語、華道、茶道、上方舞、雅楽、音楽ライブ、朗読、ワークショップなど様々な目的に活用されています。

 「浮輪寮」を後に、午後からは野津田の里山を歩きます。FPを始めた頃(約15年前)、このようなマップを作って楽しんで歩いていました。久しぶりに、作ってみました。


野津田の里山歩きフットパスマップ

 このマップに従い、①野津田車庫から~③浮輪寮~⑤小野路一里塚~⑥野津田公園~⑨国内最大級12mの鎌倉古道発掘現場~⑩森のレストラン「俊宣茶房」をぐるり~と回るFPのご案内をしました。
野津田の里山の変遷(明治から昭和、平成、令和)を調べてみると、農村伝道神学校が野津田の広大な山林を購入後(1978(昭和33)年)から、各種施設ができています。
 神学校の丘から歩き始めると、「都立町田の丘学園」、「都立野津田高校」と続き、さらに歩くと「きこえの学校ライシャワー学園」(「聾話学校」から2025/4 学校名変更)、「まちだ丘の上病院」(名誉院長が鎌田實氏。鎌田氏の「地域を支える医療」が病院の理念)と各種の施設・学校・病院が集まっています。


「ライシャワー学園」


「まちだ丘の上病院」

 小野路へ向かう道を進むと、鎌倉時代からの古道が。江戸時代、家康の遺骨が久能山から日光東照宮に移された時(1617年)の御尊櫃御成道には、この時「小野路一里塚」が造られ、両脇にエノキの木が植えられました。その後、大山道として賑わいました。


小野路一里塚の案内板

 野津田公園に入ります。敷地面積は約121,000坪(東京ドームの約34.8個分相当)と広大な公園です。1990年に陸上競技場として開園。2020年には、町田GIONスタジアムが町田ゼルビアのホームグラウンドとして、2022年には、ばら園がここに移設されました。


野津田GIONスタジアム

「湿性植物園」へ入ります。公園調整池内に、1919年開園。現在はスケートパーク計画が進行中。
また、野球場の近くには「国内最大級12m幅の鎌倉古道」の発掘現場がありますが、発掘後の道路遺構は埋め戻され、公園の下に保存されています。
 公園の続きの森に囲まれ閑静なレストラン「俊宣茶房」(しゅんせんさぼう)をご案内しました。農村伝道神学校の創始者であるストーン牧師の晩年の住居を改修したお店のようです。




閑静な森の中のレストラン「俊宣茶房」(2014,12)

 森の中の小径を歩いて、野津田公園の「上の原ススキ草地」へ出ました。ここから、「華厳坂の鎌倉古道」を経て「野津田車庫」へ戻り、解散しました。

*下記のGoogleフォトのアルバムに全体の写真を掲載しています。下記のURLにてご覧いただけます。
【みどりのゆびFP「町田・野津田の里山にある「浮輪寮」と野津田公園フットパス(2025/5/10)】
https://photos.app.goo.gl/LNMqsJLUmhJkdSwq5
(文と写真:田邊 博仁)

浮輪寮を訪ねての感想



◆丸谷先生のお話から二つ、感想。
①朽ち果てているとも見られる木造建築を、伝統技法も生かしながらここまで再生されたことに感銘を受けました。特に、自然から学んだ室内環境の創出は素晴らしい。浮輪寮は周辺の木々のたたずまい(雨模様が一段と美しく)ともあいまって、独特のちからを見る者に感じさせますね。
②浮輪寮や農村伝導神学校の歴史を伺うと、戦争が終わった後しばらくの時代の「熱」を思い出しました。ぼく自身の小学校(井の頭の明星学園)の時代です。子どもごころにも、自由・溌剌の時代でした。今思えば、民主主義への期待に溢れていた時代と言うのが可能かも。
そして今回のフットパスを企画された田邊さんの精力的で周到な準備作業には感謝あるのみ。ありがとうございました。たくさんの素晴らしい写真にもお礼。(高見澤邦郎)

◆NPOみどりのゆびのまち歩き『町田・野津田の里山にある「浮輪寮」と野津田公園フットパス』で、浮輪寮を訪ねました。
 農村伝道神学校の学生寮として使われていた建物を、丸谷博男氏の改修設計により、見事に蘇った交流施設。丸谷さんから浮輪寮の謂れから出来上がるまでのお話を聞かせていただきました。本物のあるいは本気のエネルギーを費やして作られた建物の、凄みのようなものを感じました。
(浅黄 美彦)

◆昨日はありがとうございました。
 雨が池に水紋となり数寄屋造りの建物の中ゆるりとした灯り、丸谷先生の講演とピアノ演奏、まるで異次元の世界でした。雨の中もなかなか良いですね。素晴らしい一日でした。(櫻田美知子)
 数寄屋造りの古民家を再生した「浮輪寮」をバックに。ご自慢の手作りの「水鏡」に雨水がたまり、映し出される


丸谷先生とみなさま
2025.05.10 20:01 | 固定リンク | フットパス