•  フットパス活動の記録

他のまちのフットパスをみてみよう 異国情緒の横浜山手と元町を歩く
2023.06.04
[ 講師:田邊 博仁 ]


山手丘陵の尾根道と坂道を廻り、歴史を活かしたまちづくりを知る


6月4日 (日)天気:快晴参加者:9名


 女子中高生の利用が多く、“乙女の駅”の愛称のある「石川町駅」が今回のフットパスのスタート。目の前の中村川(堀川)が山下居留地と日本人居住地(元町)の境界で、1867(慶應3)年に背後の丘陵地に山手居留地が誕生。洋館、教会、ミッションスクールなどが相次いで立地しました。


石川町駅前の中村川

「大丸谷坂」を上がると、横浜の市街地を見下ろす丘の上の「山手イタリア山庭園」に出ます。
かって、「イタリア領事館(1880~1886)」がおかれていました。フランス瓦の屋根の「ブラフ18番館」と、とんがり屋根の「外交官の家」が横浜市に寄贈され、移築復元されました。水や花壇を幾何学的にデザインした庭園が見事です。


山手イタリア山庭園

 「山手本通り」から「桜道」を経て「山手公園」に出ます。生麦事件(1862(文久2)年)がきっかけで、外国公司団から安心してピクニックや馬の遠乗りが楽しめる場所が欲しいと要望があるも、江戸幕府では具現化せず、1869年(明治2年)に日本政府から貸与された土地が居留民により整備され、1870(明治3)年に「山下公園」が開園しました。「横浜山手・テニス発祥記念館」では4つの日本初の話をお聞きしました。①「日本初の西洋式公園」(1870(明治3)年)②「日本庭球発祥の地」(1876(明治9)年)③ヒマラヤスギが日本で初めて植えられた(1879(明治12)年)。④初代の「君が代」(1870(明治3)年)が日本で初めて演奏された。しかし、洋風の曲調で違和感があり1880(明治13)年に現在の曲へ改定。当時のファッション姿から、テニスは社交の場そのものだったことも知りました。


横浜山手・テニス発祥記念館にて説明していただく

 「山手公園」から「フェリス女学院大学」横の「ブラフ積擁壁」と「市の名木古木のタブノキ」の風情ある道を上がり、再び山手本通りへ出ます。


フェリス女学院横の風情ある道

 「カトリック山手教会」の歴史をお話し、フェリス女学院高校・中学横の汐汲坂を下り元町へ出て、お待ちかねのランチタイムです。


元町にてランチ(yokayo)

 午後は、「元町公園」から。フランス人ジュラールが、1868年頃から船舶向け給水事業や西洋煉瓦の工場を開設、関東大震災(1923年)で損壊。
市は土地の永代借地権を買い取り、1930(昭和5)年に「元町公園」とした。低地には湧水を利用した「ジュラールの水屋敷地下貯水槽」(国登録文化財)が現存。ウォーターガーデンを登り、「山手80番館遺跡」を見学、山手本通りの「エリスマン邸」、「ベーリックホール」の洋館で一休み。


元町公園のウォーターガーデン


元町公園のエリスマン邸

 山手本通り沿いには「山手234番館」。横道へ入り、「ブリキのおもちゃ博物館」「クリスマストイズ」のお店を楽しみ、華麗な洋館の姿をよく残している「山手資料館」を見学。居留地だったころから関東大震災までの横浜や山手に関する資料が展示されています。
 さらに、「港の見える丘公園」「フランス山」「アメリカ山庭園」を歩き、みなとみらい線「元町・中華街駅」にて解散いたしました。


山手資料館

(文と写真:田邊 博仁)

「異国情緒の横浜山手と元町を歩く」に参加して



 今回の舞台となった元町は、1980年頃、ハマトラファッションの中心地で何度か足を運んだ場所です。その影響か?ファッション関係の仕事に就き、直営店を出店した思い出の深い町です。そのような訳で今回のフットパスに大変興味を持って参加しました。
 参加してみて懐かしさに昔を思い起こすのではなく、新しい発見ばかりで大変感激し、楽しい一日となりました。
 遠く「横浜ベイブリッジ」や「みなとみらい21」を望む丘の上からの眺望。日本初の西洋式公園である山手の緑豊かな公園。横浜屈指の高級かつ閑静な大きな住宅。フェリス女学院など歴史あるミッションスクールやカトリック山手教会の建物。外交官の家やエリスマン邸など昭和初期の歴史的な数々の洋館。などなど見所が満載でした。
 もちろん歴史、地理、植物等の豊富な知識に裏付けされたお話を聞きながらです。
 また参加された方々と歩きながら楽しいお話もさせていただきました。
 フットパスの楽しさを満喫しました。NPO法人みどりのゆびの活動に参加し、いろいろなことを経験して見たいと思いました。
(文:伊藤 右学)


イタリヤ山からの眺望(写真:田邊)


エリスマン邸(写真:田邊
2023.06.04 21:05 | 固定リンク | 未分類