•  フットパス活動の記録

信夫山(しのぶやま)を中心に
2019.11.01
信夫山(しのぶやま)を中心に活気づく福島フットパス
11 月1 日(金) 天気:晴 参加者:3 名
福島市のフットパスに来ました。メンバーは、長井市の浅野さんとみどりのゆびから横山さん、佐藤さんと私の3 人。元市役所観光課職員だったNPO「ストリートふくしま」理事長の水口さん以下、観光第一線の皆様の歓迎を受けました。今、福島で非常に感性の高いフットパス作りが進行しています!
福島市内に信夫山という山があります。よくある観光地なのかなと思っていましたが、この山LOVE ひと筋の、しかも東京からわざわざ移住してきたようなファンの会ができるほど、深い魅力が尽きない山なのてす。信夫山は駅から車で15 分、歩くと小一時間。周囲はちょうど皇居一周と同じ長さの山で、福島盆地が陥没してできたときに真ん中に残った珍しい残丘です。
歴史も古く飛鳥時代に天皇継承争いに破れた皇子と母皇后が信夫山に逃げ延び、羽黒大権現と黒沼大明神として祀られたという言い伝えがあるほど。地形的にも3つの三角点があるように面白く、あちこちの展望台から見えるまちの眺望はジオラマのようです。また、山伏も訪れた信仰の山でもあります。
羽黒大権現直下で傾斜35 度の参道は急峻な登り道で、こんな高所に六供(ろっく)と呼ばれる悲劇の皇子のお供の人々が開いた集落が今でも存在しています。
振り返ると絶景の見える急坂を、軽三輪に乗ったやんごとなき子孫のおじいさんがスイスイ上り下りしながら農作業をしていました。各家の屋敷神が祀られる小宮もそれぞれに立派なもので、飛鳥の空気が漂っています。これが福島市街の真ん中にあるのです。
懇親会でも、「福島は大事なものを皆捨ててきた」といって、古いものを壊し開発を進める福島の姿勢を憂い、活性化策に熱弁を奮う皆さんを見ていると、福島にはこれだけセンスのある人材の層の厚いことが何にもまして宝だと思いました。
2日目は、福島市内コースです。福島市内のコース作りやマップはとても良くできています。「長崎さるく」から学ばれたということですが、フットパスの観点からもきちんと要点が押さえられた高度なものです。待ち合わせ場所は福島市出身の作曲家古関裕而の彫刻の前。ちょうど来年の朝ドラ「エール」の主人公だそうで、これで福島もまた観光が進むでしょう。
福島市は駅の東側に繁華街が広がり、昭和風のレトロな建物がある路地がいくつもあり、駅からまちのコアである福島稲荷神社までの往復小一時間で楽しいまち歩きができます。日本銀行の支店(!)は昔はレンガの建物だったようです。
その繁華街がきれて阿武隈川に接する辺りに県庁、昔の福島城の跡があります。城跡に立つと目の前に雄大な阿武隈川が流れ、城主は毎日素晴らしい眺望を堪能したことでしょう。また舟運の要衝でもありました。
福島は昔は「杉の目」「杉の妻」と言われていました。
「杉」は川が氾濫した土地のことで、「目」「妻」は境目という意味らしいです。東に阿武隈川、南に荒川に囲まれているので頷けます。

「杉の目」を「福島」に変えたのは木村吉清という織豊時代の領主でした。大阪の淀川の河口の三角州に福島というところがあり、やはり三角州にあった杉目城を福島城と改めたと言われています。
福島城の郭の周囲には、尾根道である奥州街道があり、福島城は阿武隈川、荒川、そして奥州街道の尾根道に守られた城だったようですが、さらに郭の周囲には福島稲荷神社を中心に立派な寺も散在しています。
福島稲荷神社を置いたのは安倍晴明といわれ、福島城や福島稲荷神社のちょうど北に信夫山があり、風水的なものも感じます。大きな鳥居は明治神宮の御下がりということで、古代から朝廷との繋がりも深いようです。
午後は、震災で心に傷を持った人々のために、園内でイベントを催したり、「森のガーデン」というフルーツパーラーを作ったり、故郷愛を強力な活動の源にしているリンゴ園に行きました。
何万個(?)あるかわからないリンゴの一つ一つを、日が当たって全体が赤くなるように面を少しづつ動かしたり、日陰を作る葉っぱを取ったりというような細かな作業を毎日繰り返して、日本の立派なリンゴが作られているのです。果樹園もこういう生の話が聞けるとイキイキ見えてきます。
福島も、この前行った青森も、感性が高くてキラキラして、こういうまちが日本のあちこちにある日本の未来は明るいと思いました。
(神谷 由紀子)
2019.11.01 14:14 | 固定リンク | フットパス