•  フットパス活動の記録

新たに草木塔が建立
2019.05.18
5 月18 日(土)
 本会のフィールドである町田市小野路で「草木塔」の建立式が行われました。東京にあって都市計画を変更して緑を残すことに住民が決めた小野路で、その地主さんたちが草木塔を建立するということは本当に感慨深いものがありました。
 草木塔とは、仏教で「自然の恵みに感謝し、草木にも命があり、それを絶って我々は生かされている」という思想に基づいて建てられる石造の草木供養塔です。元々は、米沢藩主上杉鷹山が、江戸藩邸や米沢市内で大火があった後に大量の樹木を伐採したことに対する感謝の念で1780 年に建てたものが始まりとされています。したがって山形県置賜地方に最も多く、100 基以上の草木塔があり、フットパスの仲間である川西町や長井市にもあります。山形を含めて全国で200 基ほどが見つかっており、東京にも10 基以上発見されています。
 なぜ小野路で草木塔が新たに建てられることになったかというと、この度、小野路で1740 年(元文年間)頃に建てられた草木塔が、いまだに東京で養蚕を続けている嶋野幸夫さんの屋敷で発見されたのです。
 上杉鷹山の草木塔が1780 年建立だということであると、この嶋野さんの草木塔が日本で一番古いものということになります。
 「浅間山噴火、百姓一揆、イナゴの大発生など、小野路でも食糧事情が悪く苦労した時に建てられたもの」と小野路の「草木塔を建てる会」の小島政孝会長は推察されています。「飢饉のときには山野に自生する草や木から食物をとり命をつないできた。小野路村の面積の半分は山林であり、雑木林が多く、大量の炭を江戸に運んだり、繭を作ったりして生活してきました。これらは重要な産業であり、過去のこととして今は忘れられているが、自然の恩恵に感謝することは未来に向けて伝えていかなければならない大切なメッセージです」。
 今回、元副市長の高山氏からの提案を受けて、小島会長以下地主さんたちの協力や石材の寄付などがあって、「草木塔を建てる会」が組織され、草木塔の建立にいたりました。
 よそ者の私も小野路の方々のご厚意で「草木塔を建てる会」に入れていただけたので、草木供養祭に参加することができました。
 フットパスの仲間である長井や川西とも共有する先人の知恵に触れて、今更ながらいろいろ感じいるところがありました。
(神谷 由紀子)


小島政孝会長


草木供養祭に参加