•  フットパス活動の記録

他のまちのフットパスをみてみよう 粋な文化と情緒の残る牛込神楽坂
2022.05.28


他のまちのフットパスをみてみよう 粋な文化と情緒の残る牛込神楽坂

[ 講師:田邊博仁]


江戸の道、漱石の散歩道、石畳と黒塀の横丁を歩き、
牛込神楽坂の歴史に触れる


5月28日(日)天気:晴参加者:10名


 地下鉄牛込柳町駅からスタート。幸国寺へ移築した田安徳川家の山門を見て、「新宿区立早稲田小学校」の道へ。関東大震災後の復興事業の素敵な建物(昭和3年)で、今も使われている。現在の耐震水準でも問題ないそうです


震災復興当時の校舎の早稲田小学校

「漱石山房通り」を進むと「漱石公園」と「漱石山房記念館」に出ます。漱石が亡くなるまでの9年間を過ごした所で、関連書籍や資料の展示、猫塚があります。漱石山房記念館内に漱石の書斎が再現され、ここで、『三四郎』『それから』『こころ』などの代表作が執筆されました。


漱石山房記念館横の漱石公園

早稲田通りと並行する東側の昔ながらの小径(奥神楽坂)がいいです。手作りで評判のおはぎ屋、赤城神社の手前にかわいらしい一軒家の小さな「ドーナツ屋」があります。食べ歩きを楽しみました。


かわいらしい一軒家のドーナツ屋さん

赤城坂から北の参道を登り、牛込の総鎮守「赤城神社」へお参りしました。再生プロジェクト(隈研吾監修、2010年完成)により建替えられた新しい神社です。


本日の参加者と赤城神社

「ラ・カグ」の「AKOMEYA TOKYO神楽坂」で、ランチタイムです。
 午後は、矢来町の「古今亭志ん朝旧宅」、文化財の「一水寮」・「鈴木家住宅」、「最高裁判所長官宅」や「尾崎紅葉旧居跡」などを見て回り、いわゆる“神楽坂界隈”へ出ました。

「熱海湯」、その横の「熱海湯階段(芸者小路とも)」を登ると見番へ抜け出られます。狭いですが素敵なお店が並んでいます。この坂を“フランス坂“と名付けたパリジェンヌ
(ドラ・トーザン)がいますよ。


熱海湯階段(芸者小路、フランス坂とも)

「毘沙門天・善國寺」にお参りして、「寺内公園」へ。ここは、鎌倉時代からあった「行元寺」の跡地の公園です。江戸時代には寺の境内が町屋や遊興の場所として賑わい、神楽坂の花街の発祥の地です。


神楽坂花街の発祥の地寺内公園

 「兵庫横丁」へもどると、「ホン書き旅館」として有名な旅館「和可菜」があります。わずか4部屋ですが、多くの文豪が利用し、山田洋次の『男はつらいよ』もここで書かれました。
 2016年閉店となっていましたが、隈研吾らによって今年(2022年)再生されます。


兵庫横丁とホン書き旅館・和可菜


酔石横丁と伊勢藤

牛込神楽坂



 江戸時代の武士の居住地から庶民の遊び場へと歩く楽しみの多いコースである。古い町割りが今も残っていると聞いている。古い道や路地は入り込んでみるとそこはタイムマシンでありワンダーランドでもある。時代や時の流れが沈潜していたり、生活の積み重ねが露呈している。
 私の目当ては神楽坂界隈。外堀通りから「庾嶺坂」を上り「小栗横丁」へ入る。変哲もない路地だけどいわゆる神楽坂らしい雰囲気が漂っている。路地中程の銭湯「熱海湯」の脇から「芸者小路」・「熱海湯階段」を上り「見番横丁」で見番を見学、「神楽坂通り」に出て「善国寺・毘沙門天」をお参り。いよいよ神楽坂散策の核心部へ。「行元寺」跡の高層マンションに囲まれた小さな「寺内公園」から界隈で最も古い道、鎌倉古道の石畳の「兵庫横丁」、福井藩家老の本多家の屋敷のあった神楽坂で一番大きな「本多横丁」、花柳界の雰囲気が残っている石畳の「かくれんぼ横丁」を経て「神楽坂仲通り」、神楽坂そして飯田橋駅へ。
花も実もある横丁歩き、思いっきり楽しかった。
 居酒屋の「伊勢藤」の横を通ったが、ここは東京三大飲み屋の一軒。他は鶯谷の「鍵屋」、大塚の「江戸一」だが、最近はミシュランに湯島の「シンスケ」が載ったことから「伊勢藤」に代わり「シンスケ」を挙げる向きもある。
( 文:岩﨑英邦)
2022.05.28 21:33 | 固定リンク | フットパス