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他のまちのフットパスを見てみよう! 西荻~旧井萩町(村)を巡る
2021.05.23
他のまちのフットパスを見てみよう! 西荻~旧井萩町(村)を巡る
[講師:岩崎 英邦]

土地区画整理による 文化的郊外住宅地への進化を訪ねる
5月23日(日) 天気:晴 参加者:6名

旧井荻村(町)の地図です。上側は明治27年(1894)~大正4年(1915)の、下側は昭和3年(1929)~20年(1945)の地形図です。下側は既に土地区画整理が終わっています。同じような時期、田園調布や成城学園前では民間のデベロッパーによって拓かれ分譲されましたが、ここでは、大正14年(1925)から10年をかけ旧井荻村(町)という行政機関によって、全村(町)に渡って土地区画整理が行われました。総面積888町歩(約879ha)、単一の町村独自で行った事業としては全国屈指の大規模なものでした。優れた町づくりであったと同時に、近郊農村であった村(町)が郊外住宅地へと生まれ変わる基盤となったのです。


明治27年(1894)~大正4年(1915)の旧井萩村


昭和3年(1929)~20年(1945)の旧井萩村

旧井荻村(町)を今日は、①観泉寺→②桃井原 っぱ公園→井荻町役場跡(今日は寄りません)→
③荻窪八幡神社→④井荻町土地区画整理碑→⑤井 草八幡宮→⑥都立善福寺池公園→善福寺川沿い→ 西荻窪駅と歩きます。道すがら、真っ直ぐなこと 直角に交差していることなど道路を観察してくだ さい。土地区画整理を実感していただくことが旧 井荻村(町)巡りの目的です。

① 宝珠山観泉寺(杉並区今川2-16-1) 曹洞宗本尊は釈迦如来
戦国時代の名門今川氏ゆかりの寺として知られ ています。今川13代直房は、将軍家光の命を受け 東照大権現の宮号宣下の使者を勤めました。その 功により井草村など三ヶ村の加増を受けましたの で当寺を菩提寺と定め、祖父氏真を開基とし、万 昌院(現中野区)から祖父氏真の墓所を当寺に改 葬しました。
氏真は「桶狭間の戦」で織田信長によって父義元を失い、その後出家しましたが歌人としても多くの歌を残しています。当寺には上下井草村の古文書、板碑などが数多く保存されています。墓地には都指定旧跡の今川氏累代の墓があります。


今川家累代の墓(観泉寺)

旧井荻村四村は、江戸時代には上・下井草村は 今川氏領、上荻窪村は幕府直轄地、そして下荻窪 村は山王日枝神社領でした。当然年貢の率も違い、 村々に課せられている賦役も異なっていました。 成り立ちの違う四村が、明治22年(1889)町村制 施行に伴い合併したのです。観泉寺の住所の今川 は、今川氏に由来しています。観泉寺は今川氏の 領地支配の中心であり、ほかにも御菜園跡、行刑 屋敷跡、御茶園などが伝えられています。

②桃井原っぱ公園(杉並区桃井3-8-1) 中島飛行機発動機(株)東京工場跡地です。当社は「零式艦上戦闘機(零戦)」の「栄」や「寿」「誉」といった航空機のエンジンを設計・製造していました。戦後は富士産業(株)、富士精密工業(株)、プリンス自動車工業(株)と社名を変え、その後日産自動車(株)に合併されました。昭和28年(1953)、富士精密工業(株)は東京大学生産技術研究所(現文部科学省宇宙科学研究所)の指導を受けロケットの開発に着手。昭和30年(1955)にペンシルロケットの初フライトに成功し、これが日本のロケットの第1号となりました。


桃井原っぱ公園(中島飛行機・工場跡地)

大正14年(1925)中島飛行機発動機(株)東京工 場の誘致によって、井荻村は土地の有効活用、税 収の増大が見込まれたほか、周辺農家の次男坊・ 三男坊をはじめ子女への雇用創出、商店街の発展 や農家の現金収入をもたらした貸家の増加(農家 の地主化)など経済的・社会的な影響は計り知れ ないものがありました。
青梅街道際には、旧中島飛行機発動機発祥之地 の碑と並んでロケット発祥之地の碑もあり、ペン シルロケットが埋め込まれています。


ロケット発祥と旧中島飛行機発動機発祥之地の碑

「荻窪八幡神社」へは青梅街道を渡りますが、 荻窪駅方面左へ150mほど行くと、荻窪郵便局手 前に井荻村(町)役場跡の案内があります。逆に 右側へ行くと荻窪警察署、荻窪消防署があります。 この辺りが井荻村(町)の中心地だったのです。

③荻窪八幡神社(杉並区上荻4-19-2)
御祭神:応神天皇 社各等:村社 例大祭:9月
15日に近い日曜日この神社は旧上荻窪村の鎮守で、今から約1080年前の寛平年間に建立されたと伝えられています。
永承6年(1051)、源頼義が奥州の安倍貞任征伐の途中、ここに宿陣して戦勝を祈願。神恩に感謝して当社を厚く祭ったと言われています。
文明9年(1477)4月、江戸城主太田道灌は上 杉定正の命を受け石神井城主豊島泰経を攻めるにあたり、この神社に武 運を祈願しました。 この時植えたマキの樹1株が、500年の歳月が経 過した今も「道灌槙」と呼ばれ、御神木として大 切に保護されています。


荻窪八幡神社

④井荻町土地区画整理碑(杉並区善福寺1-33-1)
井草八幡宮東参道の北側、青梅街道沿いにあります。農家が主体となった土地区画整理によって農家自身が多大な収入・利益を得ることができました。井荻村(町)は土地区画整理に併せて大正10年(1921)に電灯を敷設し、井荻町水道を昭和5年(1930)に着工同7年(1932)3月に完成・給水を開始していま す。同年10月杉並区が誕生し編入され、井荻町は消滅しました。



井萩町土地区画整理碑

⑤井草八幡宮(杉並区善福寺1-33-1) 御祭神:八幡大神・応神天皇 社各等:郷社・別表 神社例大祭:9月30日~10月2日(3年に一度神 幸祭 5年に一度流鏑馬)

この神社は旧上、下井草村の鎮守です。明治時 代までこの付近の古い地名から,「遅野井八幡宮」 とも呼ばれていました。境内からは縄文時代中期
(約4000年前)の住居址が発見され、多くの土器 が発見されています。
当社は900余年の歴史をもつと伝えられ、社前 には源頼朝が文治2年(1186)奥州藤原泰衡征伐 の際、戦勝を祈願して手植えを寄進したという天 然記念物の大きなマツがありましたが、残念なが ら昭和48年(1973)枯れてしまいました。また、 江戸時代の慶安2年(1649年)徳川家光は、社殿 を造営させ朱印領六石を寄進しております。

都内の神社で一番広いのは明治神宮、二番は靖 国神社、三番は大宮八幡宮(杉並区)、四番目が 境内約一万坪の当社です。


井草八幡宮の大鳥居


都立善福寺池公園


本日、ご参加のみなさまと

善福寺川に沿って下り、西荻の町おこしの一環 として薮内佐斗司氏の「六童子」が設置してある 小さな街中の公園を訪ね歩いて、西荻窪駅に出ま した。


⑥都立善福寺池公園(杉並区善福寺2・3丁目) 善福寺池は井の頭池(都立井の頭恩賜公園)と
三宝寺池(都立石神井公園)に並んで武蔵野三大 湧水池として知られています。日本野鳥の会を設 立した中西悟堂氏が善福寺池の近くに住み、知人 等と野鳥の観察を行っていたことから「野鳥の聖 地」とも呼ばれているようです。
また善福寺川の水源となっているほか、東京都 水道局の杉並浄水所の水源にもなっています。23 区内の東京都水道局管轄の水道で、井戸を水源と しているのはここだけです。地下水の水質が良好 なため濾過は行わず今も消毒処理のみです。井荻 町水道はいまだに現役なのです。

六童子めぐり

(文: 岩﨑 英邦 写真:田邊)
2021.05.23 11:05 | 固定リンク | フットパス