他のまちのフットパスをみてみよう町田・野津田の里山にある「浮輪寮」と野津田公園フットパス
2025.05.10
[講師:みどりのゆび 田邊博仁]
5月10日(土) 天気:小雨・曇 参加者:17名
本日のFP(フットパス)の目玉は、「浮輪寮」です。
「野津田車庫」から、野津田の里山の小径を登ります。途中にある「浮輪寮」へのいくつかの案内板は手作りで、「ゆっくり~浮輪寮」と書かれ、浮輪寮のご主人の暖かい思いやりが伝わってきます。丘(104m)の上の「農村伝道神学校」に出て、そのキャンパスに入ると、大きなスズカケの巨木の右側に数寄屋造りの浮輪寮が見えてきました。

「ゆっくり~浮輪寮」の小径

浮輪寮と水鏡の池
「浮輪寮」の名は、1954(昭和31)年の青函連絡船洞爺丸事故で、日本人の若者に自分の救命胴衣を与えて亡くなった農村伝道神学校の創立者、カナダ人宣教師アルフレッドラッセル・ストーン牧師にちなんでいます。
今日は「浮輪寮」内で、建築家丸谷博男先生から、ビデオを使って、浮輪寮再生にまつわるお話を伺いました。素敵なトークとまさかのピアノ演奏にビックリ、そしてご自慢の体に優しい手作りの「ホワイトカレー」をいただきました。廊下越しに解放された窓からの庭、雨に濡れた森、水が張った池も素敵でした。

数寄屋造りの天井と廊下と外の緑

建築家丸谷博男氏
「浮輪寮」は2022年に再生され、里山の環境を学ぶ講座、古典落語、華道、茶道、上方舞、雅楽、音楽ライブ、朗読、ワークショップなど様々な目的に活用されています。
「浮輪寮」を後に、午後からは野津田の里山を歩きます。FPを始めた頃(約15年前)、このようなマップを作って楽しんで歩いていました。久しぶりに、作ってみました。

野津田の里山歩きフットパスマップ
このマップに従い、①野津田車庫から~③浮輪寮~⑤小野路一里塚~⑥野津田公園~⑨国内最大級12mの鎌倉古道発掘現場~⑩森のレストラン「俊宣茶房」をぐるり~と回るFPのご案内をしました。
野津田の里山の変遷(明治から昭和、平成、令和)を調べてみると、農村伝道神学校が野津田の広大な山林を購入後(1978(昭和33)年)から、各種施設ができています。
神学校の丘から歩き始めると、「都立町田の丘学園」、「都立野津田高校」と続き、さらに歩くと「きこえの学校ライシャワー学園」(「聾話学校」から2025/4 学校名変更)、「まちだ丘の上病院」(名誉院長が鎌田實氏。鎌田氏の「地域を支える医療」が病院の理念)と各種の施設・学校・病院が集まっています。

「ライシャワー学園」

「まちだ丘の上病院」
小野路へ向かう道を進むと、鎌倉時代からの古道が。江戸時代、家康の遺骨が久能山から日光東照宮に移された時(1617年)の御尊櫃御成道には、この時「小野路一里塚」が造られ、両脇にエノキの木が植えられました。その後、大山道として賑わいました。

小野路一里塚の案内板
野津田公園に入ります。敷地面積は約121,000坪(東京ドームの約34.8個分相当)と広大な公園です。1990年に陸上競技場として開園。2020年には、町田GIONスタジアムが町田ゼルビアのホームグラウンドとして、2022年には、ばら園がここに移設されました。

野津田GIONスタジアム
「湿性植物園」へ入ります。公園調整池内に、1919年開園。現在はスケートパーク計画が進行中。
また、野球場の近くには「国内最大級12m幅の鎌倉古道」の発掘現場がありますが、発掘後の道路遺構は埋め戻され、公園の下に保存されています。
公園の続きの森に囲まれ閑静なレストラン「俊宣茶房」(しゅんせんさぼう)をご案内しました。農村伝道神学校の創始者であるストーン牧師の晩年の住居を改修したお店のようです。


閑静な森の中のレストラン「俊宣茶房」(2014,12)
森の中の小径を歩いて、野津田公園の「上の原ススキ草地」へ出ました。ここから、「華厳坂の鎌倉古道」を経て「野津田車庫」へ戻り、解散しました。
*下記のGoogleフォトのアルバムに全体の写真を掲載しています。下記のURLにてご覧いただけます。
【みどりのゆびFP「町田・野津田の里山にある「浮輪寮」と野津田公園フットパス(2025/5/10)】
https://photos.app.goo.gl/LNMqsJLUmhJkdSwq5
(文と写真:田邊 博仁)
◆丸谷先生のお話から二つ、感想。
①朽ち果てているとも見られる木造建築を、伝統技法も生かしながらここまで再生されたことに感銘を受けました。特に、自然から学んだ室内環境の創出は素晴らしい。浮輪寮は周辺の木々のたたずまい(雨模様が一段と美しく)ともあいまって、独特のちからを見る者に感じさせますね。
②浮輪寮や農村伝導神学校の歴史を伺うと、戦争が終わった後しばらくの時代の「熱」を思い出しました。ぼく自身の小学校(井の頭の明星学園)の時代です。子どもごころにも、自由・溌剌の時代でした。今思えば、民主主義への期待に溢れていた時代と言うのが可能かも。
そして今回のフットパスを企画された田邊さんの精力的で周到な準備作業には感謝あるのみ。ありがとうございました。たくさんの素晴らしい写真にもお礼。(高見澤邦郎)
◆NPOみどりのゆびのまち歩き『町田・野津田の里山にある「浮輪寮」と野津田公園フットパス』で、浮輪寮を訪ねました。
農村伝道神学校の学生寮として使われていた建物を、丸谷博男氏の改修設計により、見事に蘇った交流施設。丸谷さんから浮輪寮の謂れから出来上がるまでのお話を聞かせていただきました。本物のあるいは本気のエネルギーを費やして作られた建物の、凄みのようなものを感じました。
(浅黄 美彦)
◆昨日はありがとうございました。
雨が池に水紋となり数寄屋造りの建物の中ゆるりとした灯り、丸谷先生の講演とピアノ演奏、まるで異次元の世界でした。雨の中もなかなか良いですね。素晴らしい一日でした。(櫻田美知子)
数寄屋造りの古民家を再生した「浮輪寮」をバックに。ご自慢の手作りの「水鏡」に雨水がたまり、映し出される

丸谷先生とみなさま
古民家を再生した浮輪寮を訪問野津田の里山を歩く
5月10日(土) 天気:小雨・曇 参加者:17名
本日のFP(フットパス)の目玉は、「浮輪寮」です。
「野津田車庫」から、野津田の里山の小径を登ります。途中にある「浮輪寮」へのいくつかの案内板は手作りで、「ゆっくり~浮輪寮」と書かれ、浮輪寮のご主人の暖かい思いやりが伝わってきます。丘(104m)の上の「農村伝道神学校」に出て、そのキャンパスに入ると、大きなスズカケの巨木の右側に数寄屋造りの浮輪寮が見えてきました。

「ゆっくり~浮輪寮」の小径

浮輪寮と水鏡の池
「浮輪寮」の名は、1954(昭和31)年の青函連絡船洞爺丸事故で、日本人の若者に自分の救命胴衣を与えて亡くなった農村伝道神学校の創立者、カナダ人宣教師アルフレッドラッセル・ストーン牧師にちなんでいます。
今日は「浮輪寮」内で、建築家丸谷博男先生から、ビデオを使って、浮輪寮再生にまつわるお話を伺いました。素敵なトークとまさかのピアノ演奏にビックリ、そしてご自慢の体に優しい手作りの「ホワイトカレー」をいただきました。廊下越しに解放された窓からの庭、雨に濡れた森、水が張った池も素敵でした。

数寄屋造りの天井と廊下と外の緑

建築家丸谷博男氏
「浮輪寮」は2022年に再生され、里山の環境を学ぶ講座、古典落語、華道、茶道、上方舞、雅楽、音楽ライブ、朗読、ワークショップなど様々な目的に活用されています。
「浮輪寮」を後に、午後からは野津田の里山を歩きます。FPを始めた頃(約15年前)、このようなマップを作って楽しんで歩いていました。久しぶりに、作ってみました。

野津田の里山歩きフットパスマップ
このマップに従い、①野津田車庫から~③浮輪寮~⑤小野路一里塚~⑥野津田公園~⑨国内最大級12mの鎌倉古道発掘現場~⑩森のレストラン「俊宣茶房」をぐるり~と回るFPのご案内をしました。
野津田の里山の変遷(明治から昭和、平成、令和)を調べてみると、農村伝道神学校が野津田の広大な山林を購入後(1978(昭和33)年)から、各種施設ができています。
神学校の丘から歩き始めると、「都立町田の丘学園」、「都立野津田高校」と続き、さらに歩くと「きこえの学校ライシャワー学園」(「聾話学校」から2025/4 学校名変更)、「まちだ丘の上病院」(名誉院長が鎌田實氏。鎌田氏の「地域を支える医療」が病院の理念)と各種の施設・学校・病院が集まっています。

「ライシャワー学園」

「まちだ丘の上病院」
小野路へ向かう道を進むと、鎌倉時代からの古道が。江戸時代、家康の遺骨が久能山から日光東照宮に移された時(1617年)の御尊櫃御成道には、この時「小野路一里塚」が造られ、両脇にエノキの木が植えられました。その後、大山道として賑わいました。

小野路一里塚の案内板
野津田公園に入ります。敷地面積は約121,000坪(東京ドームの約34.8個分相当)と広大な公園です。1990年に陸上競技場として開園。2020年には、町田GIONスタジアムが町田ゼルビアのホームグラウンドとして、2022年には、ばら園がここに移設されました。

野津田GIONスタジアム
「湿性植物園」へ入ります。公園調整池内に、1919年開園。現在はスケートパーク計画が進行中。
また、野球場の近くには「国内最大級12m幅の鎌倉古道」の発掘現場がありますが、発掘後の道路遺構は埋め戻され、公園の下に保存されています。
公園の続きの森に囲まれ閑静なレストラン「俊宣茶房」(しゅんせんさぼう)をご案内しました。農村伝道神学校の創始者であるストーン牧師の晩年の住居を改修したお店のようです。


閑静な森の中のレストラン「俊宣茶房」(2014,12)
森の中の小径を歩いて、野津田公園の「上の原ススキ草地」へ出ました。ここから、「華厳坂の鎌倉古道」を経て「野津田車庫」へ戻り、解散しました。
*下記のGoogleフォトのアルバムに全体の写真を掲載しています。下記のURLにてご覧いただけます。
【みどりのゆびFP「町田・野津田の里山にある「浮輪寮」と野津田公園フットパス(2025/5/10)】
https://photos.app.goo.gl/LNMqsJLUmhJkdSwq5
(文と写真:田邊 博仁)
浮輪寮を訪ねての感想
◆丸谷先生のお話から二つ、感想。
①朽ち果てているとも見られる木造建築を、伝統技法も生かしながらここまで再生されたことに感銘を受けました。特に、自然から学んだ室内環境の創出は素晴らしい。浮輪寮は周辺の木々のたたずまい(雨模様が一段と美しく)ともあいまって、独特のちからを見る者に感じさせますね。
②浮輪寮や農村伝導神学校の歴史を伺うと、戦争が終わった後しばらくの時代の「熱」を思い出しました。ぼく自身の小学校(井の頭の明星学園)の時代です。子どもごころにも、自由・溌剌の時代でした。今思えば、民主主義への期待に溢れていた時代と言うのが可能かも。
そして今回のフットパスを企画された田邊さんの精力的で周到な準備作業には感謝あるのみ。ありがとうございました。たくさんの素晴らしい写真にもお礼。(高見澤邦郎)
◆NPOみどりのゆびのまち歩き『町田・野津田の里山にある「浮輪寮」と野津田公園フットパス』で、浮輪寮を訪ねました。
農村伝道神学校の学生寮として使われていた建物を、丸谷博男氏の改修設計により、見事に蘇った交流施設。丸谷さんから浮輪寮の謂れから出来上がるまでのお話を聞かせていただきました。本物のあるいは本気のエネルギーを費やして作られた建物の、凄みのようなものを感じました。
(浅黄 美彦)
◆昨日はありがとうございました。
雨が池に水紋となり数寄屋造りの建物の中ゆるりとした灯り、丸谷先生の講演とピアノ演奏、まるで異次元の世界でした。雨の中もなかなか良いですね。素晴らしい一日でした。(櫻田美知子)
数寄屋造りの古民家を再生した「浮輪寮」をバックに。ご自慢の手作りの「水鏡」に雨水がたまり、映し出される

丸谷先生とみなさま