•  フットパス活動の記録

緑地管理
2020.09.27
夏草が生い茂る緑地に 草刈り機で挑戦

9月27日(日) 緑地 :10~12時 天気 :晴

参加者:石垣、井上、神谷 夏草が一面膝まで生い茂った緑地を、そろそろさっぱりさせたいと、この日は参加者3人で分担して草刈りをすることにしました。神谷さんは奥の斜面、石垣さんは主に茂っている灌木の枝葉を整理したりクズなどの蔓を整理。わたしはメインの草地の雑草刈りです。

平らな草地を刈るだけだからと、ベテランの石 垣さんに教わりながら、生まれて初めて草刈り機 なるものに挑戦です。ところが起動したはいいけ れど、体中に振動が伝わって、胸がバクバク。た だ振り回していればいいわけではなく、地面に水 平に使わないと土を一緒に削ってしまうし…..と 悪戦苦闘で汗びっしょりに。

それでも鎌を使うよりやっぱり効率的です。機 械を使うことにちょっぴり自信もついたので、今 後の草刈りが楽しみです。 (井上メイ子)

石垣さんが植えた白い曼殊沙華が道沿いに群生していました。 (神谷由紀子)



2020.09.27 00:00 | 固定リンク | 未分類
池ありつり、橋ありの 緑の起伏を楽しむ
2020.09.20
9月20日(日)天気:晴 参加者:3名

 コロナで遠出は自粛され、多摩丘陵フットパス 第一回目がこの小山田緑地でした。
 「扇橋」バス停から歩き始め、木道を通り、ヒガンバナが咲き始めた脇道を登り、竹やぶから珍しいナンバンギセルを見つけました。
 アサザ池に着き、ジュウガツザクラ(十月桜)の咲くあずまやで昼食を。田んぼが続き稲穂が実り、脇道に水車があり、ここが、町田だったかと思った程です。サービスセンターに寄り、脇道を登ると、間もなくつり橋が見えて、ワクワクしながら渡りました。
 紅葉の季節はどんなに綺麗かと想像し、また訪れたいと思ったことでした。いろいろなコースもあり、歩きがいのある場所でした。
(井上メイ子)


2020.09.20 00:00 | 固定リンク | 未分類
小山田
2020.09.20
万葉集縁の遺構や丘陵の原風景をとどめる

今回の散策地である小山田緑地は平成2年、多 摩ニュータウン造成に伴い造られた都立の自然公 園である。多摩丘陵の原風景をそのままとどめて いる。

又、ここは歴史の宝庫でもある。

縄文時代草創期(約7,000年前)には既に人が住 んでいたことが発掘によって明らかになっている。

公園に隣接する「多摩よこやまの道」は多摩丘 陵の尾根部に位置し、古代より武蔵野と相模野の 境の高台として、西国と東国を結ぶ道、鎌倉街道、 奥州古道、奥州廃道、古代東海道の痕跡も縦横に 見られ交通の要衝であった。特に奥州古道、奥州 廃道を介して陸奥の国より、良馬の供給があった と思われる。この「よこやまの道」とは万葉集の 中の防人(さきもり)の歌に見られ



あかごま やまの はが と
 赤駒 を 山野に放し 捕りかにて

たま よこやま かし    や
多摩の 横山  徒歩  ゆか遣らむ


と宇遅部黒女(うじべのくろめ)が詠んだ歌に因 んでいる。赤駒を山野に放牧して捕えられず、防 人として九州に赴任する夫に多摩の横山を歩かせ てしまうのだろうか。と夫を気遣う哀しい妻の心 情が溢れる歌である。ほとんどの防人は再び故郷 に戻ることはなかったのである。


9世紀中後期、小山田は石清水八幡宮の社地で あった。
12世紀になって、秩父平氏の畠山重忠の叔父 であった有重が別当として支配し、小山田氏を名 乗った。有重ははじめ平家に仕えていたが後に源 頼朝に仕えた。子供の小山田次郎重義、稲城三郎 重成(政子の同母妹を妻としている)、榛谷四郎 重朝、小山田五郎行重の兄弟は頼朝の重臣として 活躍している。頼朝の死後、北条時政の陰謀によ り畠山氏と親族の小山田氏の主流は滅亡に追い込 まれている。

「みはらし広場」からの富士山。蛭が岳、丹沢山、大山までも


鎌倉時代の馬の牧遺構。駆けまわる子ども達の姿も

又、隣にある補陀山大泉寺は有重の居館跡で小 山田城のあった所とされ、墓地には小山田高家の 顕彰碑がある。高家は行重の末裔とされ、建武の 中興後、新田義貞の侍大将となり、湊川の戦いで 義貞の危急を自分の馬を差し出す事で救い、自身 は壮絶な戦死を遂げたと太平記にある人物である。 丘陵地のコナラ、クヌギ、シラカシ等の雑木林や 草地や池等、谷戸の自然がそのまま残ったこの公 園は縄文人や万葉びとや鎌倉びと等のいにしえを 知る事によって、彼らと共に、又新たに楽しい散 策が出来そうな気がする。

(N.K)
2020.09.20 00:00 | 固定リンク | フットパス
E:日本の里山100選に唯一東京から選ばれた里山・小野路
2020.02.09
E:日本の里山100選に唯一東京から選ばれた里山・小野路
(小野路コース)
講師:NPOみどりのゆび吉森実



小野路コースはみどりのゆび吉森実さんの案内で歩きました。参加者は日本フットパス協会長の石阪町田市長はじめ38名でした。小野神社前に集合し,吉森さんの挨拶の後小野神社の説明を受け、順番に参拝しました。
万松寺の庭を鑑賞し、台の旧家・田極家を見学。
庭の大きな椎の木、野鳥などの説明を当主から聞きました。それにしても市長が野鳥に詳しいことにはびっくりしました。
小町井戸で小野小町が目の治療をした話を聞いた後、小野城址を見学して「奈良ばい谷戸」の名前の由来を聞き、その先に行くと富士山が見られました。
六地蔵から地元農家の小林家に寄り交流。お昼を「小野路宿里山交流館」でいただきました。
午後から小島資料館で新撰組の話、宿の当時の様子を館長から説明をいただきました。
「関谷の切通し」で鎌倉古道の説明を受け、みどりのゆびの管理地の説明を聞き別所バス停へ。
(佐藤英彦)




朝の挨拶


小野神社


田極家の椎の木


富士山 六地蔵


小野城址


奈良ばい谷戸からの

写真:小野路コース 日本フットパス協会設立 10 周年記念事業 実行委員会


関屋の切通し 小林家 小林 文重さん 六地蔵


奈良ばい谷戸 ウォークの様子① ウォークの様子②
2020.02.09 09:05 | 固定リンク | フットパス
D:三輪・白洲正子の愛した散歩道
2020.02.09
D:三輪・白洲正子の愛した散歩道
(三輪コース)
講師:NPOみどりのゆび桑原秀夫

路線バスに揺られて12〜13分、妙福寺前バス停で下車、3分ほど歩くと山谷戸入口に着く。賑わっていた鶴川駅から、わずか15分ほどで忽然と目の前に現われてきた山深さと静寂さを感じる三輪町の森の里山、やどり木の目立つ樹木などの風景に、参加者の皆さんからは驚きの声が聞かれた。
尾根道に登る入口となる谷あいの杣ケ谷戸では、腐りかけた作業小屋の修復に汗を流していたボランティア団体の人に出会う。市から委託されて急斜面の薪炭林、竹林の伐採等整備や子供たちのためのカブト虫小屋づくりなどのお話を聞くことができ、鬱蒼とした山道を登り切ると都県境の尾根に出る。
そこには都史跡の玉田横穴墓群が。鶴見川沿いに市が尾、早野、麻生あたりからここ三輪、能ヶ谷、大藏にかけて、南武蔵横穴墓墳群が形成され、4世紀頃からの遠く奈良からの氏族、豪族によって開かれた集落や文化に想いを馳せる説明をさせていただいた。
コナラ、クヌギなどの落葉を踏みながら三輪の森ビジターセンターに向かう都県境の尾根道、町田市側の丘陵部から谷戸にかけては、環境保護活動家、C・W・ニコル氏にも推奨頂き、環境省から「生物多様性保全上重要な里地里山地区」に指定された自然豊かなエリアを案内する。
ビジターセンターで休憩後、日本最古ともいわれる大神神社から9世紀末、布教の際に立ち寄って住み着いた々によって形作られたとされる三輪、その歴史と史跡を想起させる、白洲正子も愛した妙福寺、椙山神社、白坂横穴墓群、沢山城址、そして高蔵寺へ。やや盛り沢山のコースにも、皆さん元気にお付き合いいただいた。
いよいよ鶴見川沿いから真光寺川沿いにコースを変えて旧白洲邸「武相荘」を目指す。途中「みんなの古民家」石川邸でお話を聞き、そして特別な弁当を用意して頂いた武相荘には、13時頃に着くことができた。冬の寒さも和らいだ絶好の日和にも感謝。
(桑原秀夫)


杣ケ谷戸から都県境尾根に向かう里山道


尾根道で出合った萌芽更新を繰り返す山桜


古の大神神社を想わせた椙山神社鳥居前


高蔵寺本堂を前にして


武相荘庭園で。三輪コースをご一緒したお仲間

2020.02.09 09:04 | 固定リンク | 未分類