•  フットパス活動の記録

【緑地管理報告】
2023.10.22
天気 晴れ   参加人数 6人 

作業時間 10:00~12:00

今日は竹林の草刈りをしました。
入口から奥の方にかけて、膝より高く草が繁茂しており、時間内にどれだけ刈れるか心配でした。
でも道具は鎌だけにもかかわらず、12時頃には、ずいぶんサッパリしました。
作業前、作業後の写真を添付します。


作業前


作業後

期待の栗の実はすっかり落ちてしまっていましたが、Mさんがおやつに「栗の渋皮煮」を作ってきて下さり、これがとても美味しくて
皆元気一杯で草刈りを再開しました。

記録 鈴木由美子
2023.10.22 23:19 | 固定リンク | 緑地管理
他のまちのフットパスをみてみよう隅田川の13の橋を見ながら歩くと?
2023.10.01
[ 講師:桐澤 宏 ]

隅田川は「岩淵水門」で荒川から南に分岐し、東京湾までの23.5kmを流れる一級河川です。今回は、浅草から河口までの約9㎞の川辺を、13の橋を見ながら歩きました。

10月1日(日)天気:晴 参加者:12名

「浅草文化観光センタ―」前10時集合。10月とはとても思えないような厳しい陽射しの中を「すみだリバーウオーク」を渡って左岸へ。低めの橋からの川面の眺めは新鮮です。
「隅田公園(震災後三大復興公園の一つ)」を覗き、又、川沿いを行きます。
① 吾妻橋:創架は江戸時代。「竹町の渡し」があった。現在の橋は1931(昭和6)年竣工。
『アサヒビール本社ビル」や「墨田区役所庁舎」が際立っています。
② 駒形橋:1927(昭和2)年竣工。それ以前は「駒形の渡し」があった。
③ 厩橋:1929(昭和4)年竣工。
④ 蔵前橋:1927(昭和2)年竣工。それ以前は「富士見の渡し」があった。



隅田川の川岸を歩き13の橋を巡る(厩橋)

「蔵前橋」手前で川から離れ、「横網町公園」の中の「東京都慰霊堂」と「復興記念館」とを見学し平和を祈念。両館とも、関東大震災による遭難死者の遺骨を納めるために1930(昭和5)年に建てられ、その後、東京大空襲などによる殉難者の遺骨も安置しています。
横網町公園から、「国技館」、「江戸東京博物館」の脇を通り、両国駅に向かいました。JR両国駅前の「両国江戸NOREN」で、それぞれ好みの昼食を楽しみました。



「横網町公園』の「東京都慰霊堂」と「復興記念館」を見学



「両国江戸NOREN」、それぞれ好みの昼食を楽しむ

昼食後、再び、隅田川沿いの川辺に戻ります。
⑤ 両国橋:創架は江戸時代。橋の名は西側が武蔵国、東側が下総国と二つの国に跨っていたから。現在の橋は1932(昭和7)年竣工。
⑥ 新大橋:創架は江戸時代1693(元禄6)年。現在の橋は1977(昭和52)年竣工。
「新大橋」先で、「芭蕉稲荷神社(深川芭蕉庵跡)」にお参り。松尾芭蕉は、1680(延宝8)年から1694(元禄7)年に大阪で病没するまで、当地に住んでいました。



芭蕉稲荷神社
(深川芭蕉庵跡)

⑦ 清洲橋:重要文化財 竣工1928(昭和3)年。ケルンの吊橋をモデルとした名橋。
「中州の渡し」という渡船場があった場所。右岸に目を引く大きなビルがあります。「Daiwaリバーゲート」は門構えの特徴的な賃貸オフィス、住宅ビル。竣工1994(平成6)年。
⑧ 隅田川大橋:1979(昭和54)年竣工。「永代橋」で右岸に渡ります。
⑨ 永代橋:重要文化財創架は江戸時代。赤穂浪士の吉良上野介屋敷への討ち入り後に上野介の首を掲げて「永代橋」を渡り、泉岳寺に向かったという。現在の橋は、竣工1926 (大正15)年。「中央大橋」で佃へ渡ります。
⑩ 中央大橋:1993(平成5)年竣工。
⑪ 佃大橋:1964(昭和39)年竣工。
320年余続いていた「佃の渡し」のあった場所。中心線が川に対して60度程斜めになっている。「勝鬨橋」が見えてきました。小学校の都内見学で初めて見て、橋が開閉することに皆で興奮したことを思い出します。
⑫ 勝鬨橋:重要文化財1940(昭和15)年竣工。完成当初は、1日に5回跳開していた。1967(昭和42)年通航終了。



勝鬨橋

⑬ 築地大橋:2018(平成30)年竣工。
2021(令和3)年度のオリンピックに合わせて整備された。
「勝鬨橋」近くで解散。
冷たい飲み物が美味しい!
なお、橋、建造物などの説明には、浅黄 美彦様からの資料を使わせていただきました。当日もご案内いただき、感謝申し上げます。



集合写真、清洲橋をバックに

(文:桐澤宏写真:田邊博仁)


歴史や背景に想いを馳せながら、橋巡りを堪能

初めて、浅草界隈を訪ねたのが60年前。以来、100回は下らないまでも、〈橋巡り〉に特化したのは今回が初めて。
当日、歩くには程良い晴天。先ず向かうは東武スカイツリーラインの鉄橋。その鉄橋に沿って新しく架かった歩行者専用の橋、「すみだリバーウォーク」を歩きました。水面に近い橋から見る下流方角の景色には、“泡吹く”「アサヒビール本社ビル」、「東京スカイツリー」など、浅草の街並みが見えて、甚く新鮮でした。



「すみだリバーウォーク」からの眺め

更に左岸の「隅田川テラス」に渡り、いざ橋巡りのスタートです。(因みに… 川の流れの方向(上流から下流)を見て右側が右岸、左側が左岸です。外国でも同じ…との事。)「吾妻橋」を 皮切りに「駒形橋」、「蔵前橋」…と、橋にまつわる丁寧な講師の解説に、首肯しながら拝聴。ここで一旦河岸から離れ、今年が関東大震災から100年にあたる、惨状の地となった「被覆廠跡(現・都立横網町公園)」を訪ね、慰霊堂で合掌しました。
昼食を両国駅前ビルで摂り、午後の部は「新大橋」からリスタート。共に重要文化財の「清洲橋」と「永代橋」を愛でつつ、河口を目指しました。
佃島ではお気に入りの店舗で、定番の佃煮(私はアサリと稲子)を購入。
今回のFPは、只ただ橋の外観を眺めるだけでなく、其々の橋にまつわる歴史や背景も伺いました。更に途中で、「新大橋」近くの「江東区芭蕉記念館」にも立ち寄ったり、按配よく変化に富んだウォーキングとなりました。



清洲橋

(文と写真:蔵 紀雄)
2023.10.01 13:11 | 固定リンク | フットパス
フットパス専門家講座「牧野記念庭園」と「石神井公園」を訪ねて
2023.09.10
[ 講師:日本植物友の会副会長山田 隆彦 ]
牧野富太郎が
晩年を過ごした跡を訪ねた
9月10日(日) 天気:晴参加者:14名

 昨年はNHKの朝ドラ「らんまん」のモデルとなった牧野富太郎がちょっとしたブームを巻き起こした。
このこともあり、9月10日に牧野富太郎が晩年を過ごした「練馬区立牧野記念庭園」と、近くにある「都立石神井公園」を訪ねた。その日は日曜日であったので、入場制限がされ並ぶのではないかと心配したが、簡単に入場できた。
 牧野富太郎がこの地に居を移したのは、1926(大正15/昭和元)年、64歳の時である。当時は、東京府北豊島郡大泉村(現在の東京都練馬区東大泉)の地名であった。妻の寿衛(すえ)子が、場所を選定し建てたと言われている。ここで牧野富太郎は94歳の生涯を終えた。その間、新種として命名した植物は1500種以上にもなる。
 紙面の関係で、牧野記念庭園に植えられている主な植物3種について紹介しようと思う。
スエコザサ(イネ科)
牧野記念庭園の中で一際目立つのは、富太郎銅像のある囲いの中に植えられているスエコザサである。転居して2年後に逝去した妻の寿衛子に献名したもので、寿衛子の亡くなる前の年に富太郎が仙台市で発見したササである。



スエコザサに囲まれた富太郎銅像

 学名(世界共通の名前)はSasaella ramosa (Makino)Makino var. suwekoana (Makino) Sad.Suzukiで変種名の種形容語に寿衛子の名前が付けられている。ちなみにramosaは「枝分かれした」という意味である。
本州の宮城県以北に見られるササで、アズマザサ(東笹)の変種とされている。この辺ではどこにでも生えているアズマネザサもアズマザサとともに、牧野富太郎が命名している。
 スエコザサの特徴は、葉の片面の縁が裏に巻き、縦方向に皺があること、葉の表面には白くて長い毛がところどころにあり、裏には毛が生えている。また、茎を包んでいる皮(鞘)には毛がないことも特徴である。
寿衛子の墓石は、谷中天王寺にあり、そこには、富太郎が詠んだ二つの句、「家守りし妻の恵みや我が学び」、「世の中のあらん限りやすゑ子笹」が刻まれているという。



牧野記念庭園内、スエコザサに囲まれ二句が刻まれた石碑(写真:田邊)

ヘラノキ(アオイ科)
 入り口から少し中に入ったところに大きな木がある。練馬の銘木になっているヘラノキで、これも牧野博士が命名している。樹皮が縦に細かく割れているのですぐにわかる。
 名前は花のついている花序に「苞」というへら状の形をしているものがあり、この姿から名がついた。苞は蕾を包み、保護していた器官である。ヘラノキの果実は径4mmほどの球形をしていて、熟すと苞がついたまま落ちる。そのとき、ヘラの形をした苞が、翼のかわりとなり、回転しながら風で遠くまで運ばれ散布される。



ヘラノキの樹皮



ヘラノキの花
(6月、小石川植物園)

ヒメアジサイ(アジサイ科)

 花は他のアジサイと同じで梅雨期に咲き、牧野富太郎が戸隠の民家で見つけ、名前をつけたもの。花が優美で葉に光沢のあるアジサイとは違うと気づきヒメアジサイの名で新種として発表した、と案内板には書かれている。現在は、エゾアジサイの系統とされ、発見当時と違う学名が使われている。私は、まだ花を見たことがなく、6月には是非訪ねたいと思う。この植物は「らんまん」でも紹介された。



ヒメアジサイ

牧野記念庭園を散策後、石神井公園へ向かった。ここではマコモやゴキヅルなどを観察し、帰路についた。(文と写真:山田 隆彦)



ご参加のみなさまと(都立石神井公園)(写真:田邊)


牧野富太郎の情熱をスエコザサに見る

西武池袋線「大泉学園」駅から歩き始めて、右手に大きなダイオウショウが目につきました。そこが「練馬区立牧野記念庭園」でした。牧野富太郎が人生の後半30年ほどを過ごしたところです。標本数40万点、書籍数万冊はとんでもない数で、学校の教室がいくつも必要なほどの量です。残された書斎と書庫は一部とはいえ信じられないほどの狭さでした。万巻の書を全て読むことは不可能です。読むべきポイントを正確に見抜き、理解し記憶し、活用できる人が稀にいて、牧野はそういう一人だったのでしょう。
庭に牧野の胸像を囲むようにスエコザサが茂っています。病に伏す愛妻壽衛(すえ)に感謝を込めて命名したことはよく知られています。残念ながら壽衛は発表論文を見ることはできませんでした。また、最初は独立種とされていましたが、今はアズマザサの変種とされています。改めてじっくり観察することが出来たのは、今回参加した一番の目的でした。
若い頃わざわざ上京して購入したという顕微鏡も展示されています。倍率の変換も出来ず単純な構造です。それでも家が買えるほどの値段だったそうです。それを駆使して正確な花の細かい解剖図を書き込んだ牧野式植物図は、その後の植物学の発展に貢献しました。
庭園を出て、暑い住宅街を通って「都立石神井公園」に向かいました。「三宝寺池」ではミソハギやヒオウギが目を惹きました。ヒオウギは町田では見られません。種子が黒く、かつて習った夜の枕詞「ぬばたま」という名もあることを教わりました。初めて見たシロネ、付属の植物園ではカリガネソウや関東にはないスズムシバナなどを見ることができました。「石神井池」では改めてマコモを確認し、水辺に普通というゴキヅルも初めて見ました。
季節を変えてまた訪れてみたいコースでした。「石神井公園」駅に向かう緩い坂道はもう足ががくがく、杖を取り出してしまいました。でも、駅前のビールはおいしかった。
(文と写真:田中 良也)



スエコザサ(写真:田中)



ヒオウギ(アヤメ科)(写真:田中)

2023.09.10 13:09 | 固定リンク | フットパス
農と緑の管理
2023.09.03
「鎌倉街道小野路宿ふるさとの森」を管理するために

 皆さんは私たち「みどりのゆび」が管理している緑地の正式名称をご存知ですか。「鎌倉街道小野路宿ふるさとの森」といいます。
 「ふるさとの森」とは、町田市のホームページで都市づくり部公園緑地課の中に「ふるさとの森は、市内の美しい緑地景観、歴史的環境を保護すること及び貴重な動植物が生育する自然環境の保全を目的としており、現在43箇所が指定されています。」と説明されています。
 この43カ所のうち、昭和62年(1987年)10月、10番目に指定となったのが私たちの管理する小野路宿緑地です。
 管理委託契約書も2013年まで毎年交わされています。そこには、ふるさとの森の管理は「(1)緑地の地形、植生、施設等の観察点検をし、ゴミの不法投棄等については市に通報をする(2)緑地の維持保全のため、市の保全作業に協力し、軽易な除草、 清掃を行う(3)緑地の保全と自然保護について周辺住民の理解と協力が得られるように努める」と目標づけられています。当時の担当者の説明としては、本来は市がやるべきふるさとの森の保全を市民団体が協力支援し、保全を維持するための地形、植生、ゴミなどの管理を行うことが主たる目的でした。したがって除草や清掃が第一の目的ではなく、市民が緑を楽しみ慈しみながら維持することと理解しています。また周囲の地元の方たちの理解や協力を得ることも大きな役割です。2014年からは公益的活動団体として、他の400ほどの市民団体と同様に月1回の清掃活動のみが義務付けられていますが、「ふるさとの森」という制度がある限り私たちは「ふるさとの森」としての管理目標を遂行しています。
 緑地から通ずる小野路の切通は、たいした特色もないベッドタウンと思われていた町田市が、自分たちの魅力に気づき、観光によるまちづくりに目覚めた原点でした。この小野路の緑地から、今の自信に満ちた町田市が再建されたと言っても過言ではない大事な緑地です。「ふるさとの森」としての矜持を保ちながら、管理していきたいと思います。 (文:事務局 神谷 由紀子)


カナムグラと挌闘して達成感

9月3日(日) 天気:晴参加者:9名

都心から電車を乗り継ぎ鶴川に降りると、いつも 陽の光が明るいと感じる。別所から小道を通り宿緑地に着くと大きく深く呼吸したくなる。ここは時折サイクリングのグループが「こんにちは」と気持ち良さそうに走り抜ける。
今日は2ヵ月振りの作業日。前回のオオブタクサは、するりと簡単に根も抜けたが、カナムグラは大小の樹々や草むらに巻き付いて手強い。
チェーン・ソーを使う男性お二人は緑地に伸びた雑草も刈り、Kさんと私達女性6名ははびこっているカナムグラに向かうが、トゲトゲが絡み合って簡単にはいかない。力自慢の私も“エイヤー”と全力で格闘し、夢中で沢山を引き抜いた。作業小屋裏を流れる小川は枯枝や枯竹で塞がれていて、皆できれいにする。作業は はかどり、皆で除去した雑草の山と、きれいに整地された緑地を何度も眺め、達成感に浸った。
裏山近くではムラサキシキブの大株を見つけた。きれいな紫の実を沢山付けていて、夏のお花を見るのが楽しみです。(文:松本 美津子)



恵泉女学園大学の田んぼ作業は、楽しみがいっぱい

10月7日(土)天気:晴 参加者:5名

 小野路に残る恵泉女学園大学の田んぼ作業で、秋の稲刈り実習には、会員4名と孫(7歳)が一緒に参加しました。
 孫は今年で3回目ですが、2回目からは鎌を使いました。去年の稲刈りでは刈った稲を交差させたり、くるっと回して前年の稲で 束ね、天日干しにしました。
 周囲にはカエルやバッタ、カマキリ、トンボもいて、里山を楽しみながら作業しました。








お孫さんが大活躍の稲刈り(写真:恵泉女学園大学)


 初夏の田植えも楽しみです。学生さんの実習ですので、先生方が苗、田おこし、水張り、ロープ張りと全て準備してくださり、私達は植えるだけです。初めての時はゴム草履を紐で巻き付けて田んぼに入りましたが、途中からは裸足になり、先生に教わりながら植えていきました。
 田んぼの畦付近の水溜りにはメダカ、ドジョウの稚魚も見かけます。


孫のもうひとつの楽しみは作業の後、里山交流館の縁側に腰掛け、庭を眺めながらのお昼とかき氷を食べる事のようです。
今年の田植えも楽しみにしています。
(文:名城 千穗)



鎌倉街道小野路宿緑地(写真:田邊)



まだまだ暑い日差しの中、たっぷり汗をかいた木陰は壮快!

10月22日(日) 天気:晴参加人数:6名

 待ちきれず? 事前に現地をご案内いただいていた小野路の竹林管理。20年前の山登りウェアを引っ張り出し、初参加させていただきました。
 10時開始。管理地は竹林と隣り合わせて木陰となっており、とても気持ちの良いスポットです。夏の間に繁った膝上丈の下草を大きな鎌でザザザッと、布田道に近い入口から奥の方にある竹林目指して刈り始めました。最初は要領が分からず、また入口付近は倒木があって刈り難く、草の根を掘り起こしてしまったのですが、掘り起こせば土の中の草の種が散って来春芽を出すことを思い出し、文字通り「草刈り」に変えて続行しました。さて期待していた栗拾いは、栗が地面に落ちてしまっており収穫出来ませんでした。残念に思っていたところ、Mさんお手製『栗の渋皮煮』のおやつが振る舞われ、皆さん美味しい笑顔。デパ地下で流行中モンロワールのチョコとも相性バッチリで、ほっこりした休憩となりました。
 私は今年、例年に比べ草木に触れる事が少なかったので、草刈りであっても土や草木と遊べて、大変良い時間を過ごせました。また我武者羅に頑張ってもないのに気分壮快。小野路の魅力かもしれません。次回は虫よけと帽子、露よけの足元と膝のカバーを持参して臨みたいと思います。
(文:鈴木 いと子)



2023.09.03 13:26 | 固定リンク | 緑地管理
他のまちのフットパスをみてみよう涼風をもとめて御嶽渓谷を歩く
2023.07.22
[ 講師:小林 道正]

渓谷の地形と河原の石、名水の秘密を探る

7月22日(土) 天気:晴参加者:11名

 JR青梅線「沢井」駅→多摩川の川原<石拾い>→清流ガーデン「澤乃井園」<石の標本づくり・昼食>→「小澤酒造」<酒蔵・仕込み水見学>→「御嶽渓谷」<散策>→「玉堂美術館」・砂金探し→JR青梅線「御嶽」駅
 小澤酒造は「澤乃井には2種類の名水があることで美酒を造ることができます」と説明しています。「2種類の名水」とは何でしょうか。それは奥多摩の地質が大きく関わっています。 「秩父中古生層」という古生代から中生代に形成された地層のことです。この地層の岩石を多摩川の川原で拾い集め「石の標本」を作ります。
 そして多摩川では「砂金採り」がブームになっています。上流に武田信玄の隠し金山といわれている「黒川金山」があり、長い年月をかけて流れ下って来たらしいです。









湧き水の説明図 砂金採りの例



涼しい東屋で石の標本作り(写真:横山) 小石の標本

1.川原で石拾い
涼風を求めて多摩川の川原に下りてみると凄まじい暑さでした。日陰がないのと河原の石の照り返しで予想以上です。ゴムボートでラフティングを楽しんでいる若者達が羨ましかったです。



御岳渓谷の急流を下るラフティングゴムボート

 ここでは御嶽渓谷の地形と河原の石について説明し、石の標本箱を作っていただく予定でしたが、真夏の炎天下では熱中症が心配なので、小石を拾ってもらうだけにしました。
 小石は、標本箱に入る大きさに注意して、色や模様の違うものを少し多めに拾うようにしました。石の色は水に濡らすと鮮やかになります。白、黒、灰色、青、緑色、赤などいろいろあることに気付いていただけました。色の違いによって丸いものやゴツゴツして角張っていることに気付いた方もいましたが、木陰へ移動することにしました。
 2.清流ガーデン「澤ノ井園」で石の標本づくり清流ガーデン澤ノ井園はお昼時前で空いていました。東屋のテーブル席に座ると涼しい風が吹いてホッとしました。ここで「小石の標本」を作ってもらうことにしました。
 ここで拾える石は、泥岩、砂岩、礫岩、チャート、石灰岩、凝灰岩などの堆積岩です。これらの小石を用意した箱の中に並べて、接着剤で貼り付けます。次にニスを塗ってツヤを出すと色が鮮やかになります。最後にラベルを貼って完成です。
 理科の勉強みたいですが、たいへん楽しそうに取り組んでいました。お店では買うことのできない大切なお土産になったと好評でした。




小石の標本


3.「小澤酒造」の見学
2種類の名水を見学しました。一つは「蔵の井戸」と云われている蔵の裏山を140mも掘り進んだ横井戸から湧き出ているミネラル分の多い「中硬水」です。もう一つは「山の井戸」と云われている多摩川の対岸の山奥から導いている「軟水」です。





4.「御岳渓谷」を歩く
御嶽渓谷は、誰でも安全に散歩ができる遊歩道が整備されています。木陰のおかげで涼しく歩くことができました。
遊歩道を外れて川原に下りてみると、褶曲した地層のチャートが観察できます。大小のポットホールがあり、その成因について話し合うことで長い長い時間の流れを感じてもらいました。



5.美術館鑑賞と砂金探し
日本画の巨匠・川合玉堂を鑑賞する人と、川原に下りて砂金探しをする人に別れて活動しました。ゴールのJR「御嶽」駅までは歩いて10分程度です。



(文と写真:小林 道正)



銘酒「澤乃井」を醸す水ありて

 記録的な猛暑の中、涼を求めて奥多摩の渓谷を歩きました。実際街中に比べて3℃以上低い感じ。フットパスはほぼ緑の木陰になっており、谷を渡る風も爽やかで、暑さは気になりませんでした。今回のテーマは奥多摩の地質です。川岸には巨岩が露出し河原も石がゴロゴロしており、大地の成り立ちを考えるのにはよいところだと思います。JR奥多摩線「沢井」駅前に集合。小林先生の先導の下、先ず多摩川の河原へ。そこで河原の石の種類と地質学的な起源について解説がありました。砂岩、泥岩、石灰岩、チャートなど一億年以上前の中生代から古生代ものとのこと。各種の石ころを探して小さな標本箱を作りました。
 昼食後は奥多摩の蔵元・「小澤酒造」を見学しました。内部は思った以上に広く、奥行きがあり、案内の方の解説も興味深いものでした。印象的だったのは岩盤をくりぬいた中の醸造用の水の井戸です。奥多摩の地層を抜けたミネラルに富んだ地下水で、銘酒「澤乃井」が醸(かも)されるわけです。



その後川沿いに歩いて遡りました。夏は草木が葉を繁らせる時期で花は少ないのですが、道沿いにオレンジ色のノカンゾウの花が点々と咲いていました。道は川の流れから10mぐらいの高さです。そこに生えているということは、増水の時そこまで種が流されて来るのでしょうか。河原に転がる巨岩とともに自然の猛威を感じました。
最後は「玉堂美術館」の前で砂金採りです。今回はダメでしたが粘れば採れたかもしれません。盛りだくさんの楽しい一日でした。



(文と写真:森 正隆)

2023.07.22 12:57 | 固定リンク | フットパス