•  フットパス活動の記録

フットパス専門家講座 玉川学園から鶴川定番コースを深堀りします
2023.11.10
[ 講師:高見澤邦郎(午前)浅黄美彦(午後)]]
坂道と階段、緑をまとった尾根道に文化が香るまちづくりを見る
11月10日(金) 天気:曇時々小雨 参加者:22名

『まちだフットパスガイドマップ「コース3:鶴川から玉川学園」』をベースとしたフットパス。昭和初期に創立した学校法人「玉川学園」とスプロール住宅地にできた「和光大学」、ともにルーツは同じ「成城学園」なれど、まったく違う学風と風景で多摩丘陵の尾根道で繋がる二つの対象的なまちを新たな知見を踏まえて深堀りして歩きました。
玉川学園前駅に集合。デッキを渡りコミュニティセンター前で、コースのアウトラインを説明し、坂のまち玉川学園を歩き始めました。コミュニティセンター脇の「ふれあい坂」にあるベンチは、作家の片岡義男さんが散歩の途中に休憩していることや、北口商店街の「玉川珈琲倶楽部」では、昨年亡くなられた森村誠一さんの定席があったことなど、作家が住むまちらしいエピソードを紹介しながら商店街を西へ進む。谷道にある商店街から北側の坂を少し上ると、最初の目的地、1964年に竣工した林雅子さんが設計したアトリエ付住宅「旧魏晋杜工房(ぎしんとこうぼう)」。著名建築家によるモダニズム建築も築50年を超え、国登録有形文化財の要件を満たすようになりました。






旧魏晋杜工房  遠藤周作旧居玉川学園二丁目
(町田市民文学館所蔵写真)


さらに坂を上り丘の上の鉢巻道路を一回り歩き、「旧みつはしちかこ邸」、「遠藤周作邸跡」を訪ねました。講談社創業者の野間清治氏が玉川学園のまちづくりを支援したことから、戦後作家、編集者、学者が学園に移り住み、小さな文士村ができていたようです。文学散歩の野田宇太郎が住んだ町田市ですので、そろそろ文学碑があってもおかしくないのではと感じたところです。



さくらんぼホール設計 河野 進

 次は玉川学園の戦前の分譲エリアの外側に、1955年にできた124戸の長屋建て都営住宅の建替え区域を跡地利用したまちづくりを訪ねました。半分は都営住宅として建替え、残り半分は地域との協議により高齢者施設、地域集会施設、児童館そして子ども広場となり、拡大する玉川学園の郊外住宅エリアに必要な公共公益施設を付加。郊外住宅としての質を高めたものと思われます。
さらに玉川学園らしい風景が残る鉢巻道路沿いの土地の記憶を継承し、新たな住宅像を提案している「ジャジャハウス」、大きな敷地の一部を譲り受け、斜面の植栽の連続性と桜を生かしたRC打放し住宅などを紹介させていただきました。



ジャジャハウス2023年竣工



S氏邸


小田急線の踏切を渡り「うぐいす坂」の坂上にある赤瀬川原平邸「ニラハウス」を眺め、尾根道をしばらく歩くと、学園のキャンパスに入ります。近年建替えられた華やかな校舎群の間を抜け、玉川学園教育博物館に立ち寄って、地元の方の美術展を観させていただきました。こうした催しは、学園とまちが繋がっていることを感じさせます。再び尾根道を岡上に向かう途中に学園の牛舎があります。全人教育、労作の原点のような施設もそろそろ解体のようです。これが見納めになるかもということで記念撮影を行いました。



玉川学園の牛舎 集合写真


 尾根沿いをさらに歩くと川崎市の飛地「岡上」。急な坂を下ると「和光大学」。メタセコイヤの並木のある坂を上り、2010年竣工した円形校舎E棟の学食で昼食。久しぶりの学食が懐かしい。昼食後は、三浦展著『郊外住宅地秘話』にも登場する新興住宅地「岡上西地区」を歩く。宅地開発規制関連法が制定される前の、いわば無法時代に形成された昭和30年代半ばの郊外住宅地の現在を、いくつかの急坂や階段をたどりながら体感してもらいました。



和光大学E棟設計内藤 廣

 昼食後は、三浦展著『郊外住宅地秘話』にも登場する新興住宅地「岡上西地区」を歩く。宅地開発規制関連法が制定される前の、いわば無法時代に形成された昭和30年代半ばの郊外住宅地の現在を、いくつかの急坂や階段をたどりながら体感してもらいました。
 そんな住宅地の中で、杉浦伝宗さんが設計する「六番坂の家」や「岡上の家」は、乱開発された住宅地の自然や環境を再生させた事例として紹介させていただきました。



六番坂の家の屋上「季の庭」、背後に和光大学が



岡上の家

最後に訪れたのは、岡上の集落地、旧家の敷地の一部に建つ集合住宅「Tetto(イタリア語で屋根)」。まさに里山の風景の中にある集合住宅でした。
昭和初期に学園まちづくりとしてつくられた玉川学園と集落地、営農団地、新興住宅地+和光大学からなる岡上を、地形とそこにある建物と学園の風景を素材として対比的に深堀りしてみました。
(文と写真:浅黄 美彦)

「雨降る日も心は晴れ晴れフットパス」

雨混じりのどんよりとした空模様でしたが、鬱々とする気分も吹き飛ぶ、楽しく有意義な散策でした。実は、中学と高校の6年間、玉川学園の生徒だったのですが、卒業以来の訪問! お恥ずかしいことに学校や近隣住宅の歴史を知らなかったので、高見澤先生と浅黄先生の解説を興味深く聞かせていただきました。多くの作家達が住んでいた理由も理解できましたし、建築家の住宅も一見に値するものばかりでした。
私は男女共長寿日本一の川崎市麻生区(読売ランド自然遊歩道近く)に住んでいますが、「坂道が長寿の秘訣」と思っていたものの、玉川学園と岡上の坂道の急勾配と階段の多さに驚愕! 我が家の周りの坂なんて全然たいしたことないわ、と帰りは足取りも軽くなりました。
さて、玉川学園高等部の卒業アルバムを探し出し久しぶりに開きましたが、学園全景は今とだいぶ違います。私が通っていた頃は駅近くのコンクリート校舎でしたが、新校舎は、かなり奥にあり
ハリーポッターの魔法学校か!?内部はバチカン宮殿か!?と思う豪華さ。まさか卒業してうん十年後に、その前で集合写真を撮るとは(笑)。



かつての白いコンクリート校舎



バチカン宮殿風校舎内部




礼拝堂内部懐かしの写真



中央校舎前の集合写真

その他に印象に残ったのは、尾根道で全く対照的な景色が繋がっていたことです。尾根道を抜け、和光大学食堂で学生気分も味わえたうえ、「かじのや」直販店で、緑山スタジオによく来る俳優生田斗真君お気に入りの納豆も購入出来て大満足!終始充実したフットパスでした。
(文と写真:藤原 由喜子)
2023.11.10 13:18 | 固定リンク | フットパス
他のまちのフットパスをみてみよう フットパスによる活性化に熱心な福島県西郷村
2023.10.28
[講師:みどりのゆび+日本フットパス協会]
「全国フットパスの集い2023in西郷村」に参加しました
10月28日(土)29日(日)天気:晴 参加者:7名

コロナが収束して2回目の全国大会で、各地から約350人(「福島民報」調べ)が集結しやっと本来の集いが戻ってきました。
みどりのゆびからの参加者はフットパス協会を手伝い、新刊『フットパスによる未来づくり』20冊を売り上げ、活躍しました。
今回のフォーラムでは福島を中心としたフットパスのケーススタディ--①西郷村(北浦鑑久氏)、②宮城県柴田町(平間忠一氏)、③喜多方市高郷町(物江浩二氏)--が印象的でした。西郷村の北浦さんは東北各地に出向いて、歩く団体と交流を深めています。宮城県柴田町は活動を始めて9年ということで、何度か一緒に歩いたガイドさんたちの顔が浮かびました。高郷町の本村は14世帯40数人という寒村ですが、フットパスによる活性化が熱心に行なわれています。また福島県観光物産交流協会の守岡文浩理事長からは、被災地12自治体でのフットパスによる観光復興が図られているとの報告がありました。フットパス協会設立から14年。東北にも確実にフットパスが浸透してきているのを感じました。



フォーラムの様子

 29日のフットパスウォークは、西郷村の開拓史を実感するコースと西郷瀞など美景を巡る5コースでした。北浦さんによると、西郷村の開拓は大きくは明治以降の馬産に基づくものと戦後の加藤寛治氏による農地開拓に二分されます。西郷村は古代から火山灰土、水路不足、那須おろしと農地に適さずあまり人の住まない土地でした。しかしこの地域は昔から名馬を産していたこともあり、明治時代には陸軍の馬事補充部、農商務省の種馬所となり、これがこの地域の経済を産みました。


 今も家畜改良センターの本所(日本全体の本部)が西郷村に置かれ、この中心的役割と経済効果によって地方交付税の不交付団体になるほど豊かになっています。また戦後の農地開拓は苦労を極めましたが、じゃがいもや養魚が特産物になりました。最近では新幹線が停まる唯一の村として、交通の利便性から企業誘致も行われ人口も増加して、小さいのになかなかやり手の自治体です。観光面でも期待されています。甲子トンネルの開通、東北縦貫道の白河ICの開設によって便利になり観光資源が広がりました。白河ICから会津若松に行くルートは、西郷村の「西郷瀞」や牧歌的な美観を甲子トンネルによって日本情緒溢れる会津地域に導く推薦コースです。私たちも大会後、塔の形の奇岩が立ち並ぶ断崖で知られる会津の「塔のへつり」までドライブしましたが、甲子トンネルを越えた途端に周囲を紅葉に囲まれて皆で歓声を上げました。
 フットパスに対しても高橋村長自ら視察に参加されたり、村の人々が最高の受入体制で迎えてくださったりと熱心です。フットパスが地域の活性化の一助になることを祈っています。







開拓時の家(ガイドさんの1人がここに住んでいた)



開拓村のおもてなし(サルナシの実)



西郷瀞



村人のおもてなし

(文と写真:神谷 由紀子)

「2・4・5 村(ニ・シ・ゴー 村)」は熱かった!

 最初は何回読んでも「さいごうむら」。福島の西郷村(にしごうむら)が今回のフットパスの集いの舞台でした。西郷村は福島県の南部にあり、東は白河市、南は那須高原に接して標高 400~600mの高地に位置しています。東京から新幹線で新白河まで1時間20分。新幹線が停車する唯一の“村”だそうです。東北自動車道の白河ICも近く、アクセスは良い「ほどよい田舎」という記載がありました。
 全国大会は、盛大なもので、活動事例を発表するフォーラムがありました。皆さんに共通していたのが、行政を巻き込んだ、地元を愛する熱い気持ちです。フットパスを通じて人とのつながりと経済効果、地域創生のあり方を考えています。活動報告を聞いていてワクワクする気持ちになりました。その後の交流会でもいろいろな方と交流しました。交流会では、抽選会のお楽しみイベントがあり、そこでみどりのゆびのメンバーは大活躍。1等の地元の老舗旅館の宿泊券、2等の高級な阿武隈メイプルサーモンを連続ゲットしました。活動発表はありませんでしたが、最後に活躍してきました。
 大会は無事に終わりましたが、行動的なみどりのゆびのメンバーはその後、レンタカーで往復80km、2時間かけて南会津の名所「塔のへつり」に遠征してきました。長い年月をかけて自然が作り出したこの渓谷は、塔の形が立ち並ぶ断崖という意味から「塔のへつり」と名づけられたようです。「中国の断崖みたいだね」「どうしてもここに来たかった」など楽しい会話が続きました。初めての全国大会への参加でしたが、日常を忘れる内容の濃い2日間となりました。来年は、熊本県美里町(3・3・10)だそうです。是非ご一緒に! (文と写真:伊藤 右学)



塔のへつり(写真:伊藤)



塔のへつりで記念写真(写真:伊藤)

2023.10.28 13:15 | 固定リンク | フットパス
他のまちのフットパスをみてみよう隅田川の13の橋を見ながら歩くと?
2023.10.01
[ 講師:桐澤 宏 ]

隅田川は「岩淵水門」で荒川から南に分岐し、東京湾までの23.5kmを流れる一級河川です。今回は、浅草から河口までの約9㎞の川辺を、13の橋を見ながら歩きました。

10月1日(日)天気:晴 参加者:12名

「浅草文化観光センタ―」前10時集合。10月とはとても思えないような厳しい陽射しの中を「すみだリバーウオーク」を渡って左岸へ。低めの橋からの川面の眺めは新鮮です。
「隅田公園(震災後三大復興公園の一つ)」を覗き、又、川沿いを行きます。
① 吾妻橋:創架は江戸時代。「竹町の渡し」があった。現在の橋は1931(昭和6)年竣工。
『アサヒビール本社ビル」や「墨田区役所庁舎」が際立っています。
② 駒形橋:1927(昭和2)年竣工。それ以前は「駒形の渡し」があった。
③ 厩橋:1929(昭和4)年竣工。
④ 蔵前橋:1927(昭和2)年竣工。それ以前は「富士見の渡し」があった。



隅田川の川岸を歩き13の橋を巡る(厩橋)

「蔵前橋」手前で川から離れ、「横網町公園」の中の「東京都慰霊堂」と「復興記念館」とを見学し平和を祈念。両館とも、関東大震災による遭難死者の遺骨を納めるために1930(昭和5)年に建てられ、その後、東京大空襲などによる殉難者の遺骨も安置しています。
横網町公園から、「国技館」、「江戸東京博物館」の脇を通り、両国駅に向かいました。JR両国駅前の「両国江戸NOREN」で、それぞれ好みの昼食を楽しみました。



「横網町公園』の「東京都慰霊堂」と「復興記念館」を見学



「両国江戸NOREN」、それぞれ好みの昼食を楽しむ

昼食後、再び、隅田川沿いの川辺に戻ります。
⑤ 両国橋:創架は江戸時代。橋の名は西側が武蔵国、東側が下総国と二つの国に跨っていたから。現在の橋は1932(昭和7)年竣工。
⑥ 新大橋:創架は江戸時代1693(元禄6)年。現在の橋は1977(昭和52)年竣工。
「新大橋」先で、「芭蕉稲荷神社(深川芭蕉庵跡)」にお参り。松尾芭蕉は、1680(延宝8)年から1694(元禄7)年に大阪で病没するまで、当地に住んでいました。



芭蕉稲荷神社
(深川芭蕉庵跡)

⑦ 清洲橋:重要文化財 竣工1928(昭和3)年。ケルンの吊橋をモデルとした名橋。
「中州の渡し」という渡船場があった場所。右岸に目を引く大きなビルがあります。「Daiwaリバーゲート」は門構えの特徴的な賃貸オフィス、住宅ビル。竣工1994(平成6)年。
⑧ 隅田川大橋:1979(昭和54)年竣工。「永代橋」で右岸に渡ります。
⑨ 永代橋:重要文化財創架は江戸時代。赤穂浪士の吉良上野介屋敷への討ち入り後に上野介の首を掲げて「永代橋」を渡り、泉岳寺に向かったという。現在の橋は、竣工1926 (大正15)年。「中央大橋」で佃へ渡ります。
⑩ 中央大橋:1993(平成5)年竣工。
⑪ 佃大橋:1964(昭和39)年竣工。
320年余続いていた「佃の渡し」のあった場所。中心線が川に対して60度程斜めになっている。「勝鬨橋」が見えてきました。小学校の都内見学で初めて見て、橋が開閉することに皆で興奮したことを思い出します。
⑫ 勝鬨橋:重要文化財1940(昭和15)年竣工。完成当初は、1日に5回跳開していた。1967(昭和42)年通航終了。



勝鬨橋

⑬ 築地大橋:2018(平成30)年竣工。
2021(令和3)年度のオリンピックに合わせて整備された。
「勝鬨橋」近くで解散。
冷たい飲み物が美味しい!
なお、橋、建造物などの説明には、浅黄 美彦様からの資料を使わせていただきました。当日もご案内いただき、感謝申し上げます。



集合写真、清洲橋をバックに

(文:桐澤宏写真:田邊博仁)


歴史や背景に想いを馳せながら、橋巡りを堪能

初めて、浅草界隈を訪ねたのが60年前。以来、100回は下らないまでも、〈橋巡り〉に特化したのは今回が初めて。
当日、歩くには程良い晴天。先ず向かうは東武スカイツリーラインの鉄橋。その鉄橋に沿って新しく架かった歩行者専用の橋、「すみだリバーウォーク」を歩きました。水面に近い橋から見る下流方角の景色には、“泡吹く”「アサヒビール本社ビル」、「東京スカイツリー」など、浅草の街並みが見えて、甚く新鮮でした。



「すみだリバーウォーク」からの眺め

更に左岸の「隅田川テラス」に渡り、いざ橋巡りのスタートです。(因みに… 川の流れの方向(上流から下流)を見て右側が右岸、左側が左岸です。外国でも同じ…との事。)「吾妻橋」を 皮切りに「駒形橋」、「蔵前橋」…と、橋にまつわる丁寧な講師の解説に、首肯しながら拝聴。ここで一旦河岸から離れ、今年が関東大震災から100年にあたる、惨状の地となった「被覆廠跡(現・都立横網町公園)」を訪ね、慰霊堂で合掌しました。
昼食を両国駅前ビルで摂り、午後の部は「新大橋」からリスタート。共に重要文化財の「清洲橋」と「永代橋」を愛でつつ、河口を目指しました。
佃島ではお気に入りの店舗で、定番の佃煮(私はアサリと稲子)を購入。
今回のFPは、只ただ橋の外観を眺めるだけでなく、其々の橋にまつわる歴史や背景も伺いました。更に途中で、「新大橋」近くの「江東区芭蕉記念館」にも立ち寄ったり、按配よく変化に富んだウォーキングとなりました。



清洲橋

(文と写真:蔵 紀雄)
2023.10.01 13:11 | 固定リンク | フットパス
フットパス専門家講座「牧野記念庭園」と「石神井公園」を訪ねて
2023.09.10
[ 講師:日本植物友の会副会長山田 隆彦 ]
牧野富太郎が
晩年を過ごした跡を訪ねた
9月10日(日) 天気:晴参加者:14名

 昨年はNHKの朝ドラ「らんまん」のモデルとなった牧野富太郎がちょっとしたブームを巻き起こした。
このこともあり、9月10日に牧野富太郎が晩年を過ごした「練馬区立牧野記念庭園」と、近くにある「都立石神井公園」を訪ねた。その日は日曜日であったので、入場制限がされ並ぶのではないかと心配したが、簡単に入場できた。
 牧野富太郎がこの地に居を移したのは、1926(大正15/昭和元)年、64歳の時である。当時は、東京府北豊島郡大泉村(現在の東京都練馬区東大泉)の地名であった。妻の寿衛(すえ)子が、場所を選定し建てたと言われている。ここで牧野富太郎は94歳の生涯を終えた。その間、新種として命名した植物は1500種以上にもなる。
 紙面の関係で、牧野記念庭園に植えられている主な植物3種について紹介しようと思う。
スエコザサ(イネ科)
牧野記念庭園の中で一際目立つのは、富太郎銅像のある囲いの中に植えられているスエコザサである。転居して2年後に逝去した妻の寿衛子に献名したもので、寿衛子の亡くなる前の年に富太郎が仙台市で発見したササである。



スエコザサに囲まれた富太郎銅像

 学名(世界共通の名前)はSasaella ramosa (Makino)Makino var. suwekoana (Makino) Sad.Suzukiで変種名の種形容語に寿衛子の名前が付けられている。ちなみにramosaは「枝分かれした」という意味である。
本州の宮城県以北に見られるササで、アズマザサ(東笹)の変種とされている。この辺ではどこにでも生えているアズマネザサもアズマザサとともに、牧野富太郎が命名している。
 スエコザサの特徴は、葉の片面の縁が裏に巻き、縦方向に皺があること、葉の表面には白くて長い毛がところどころにあり、裏には毛が生えている。また、茎を包んでいる皮(鞘)には毛がないことも特徴である。
寿衛子の墓石は、谷中天王寺にあり、そこには、富太郎が詠んだ二つの句、「家守りし妻の恵みや我が学び」、「世の中のあらん限りやすゑ子笹」が刻まれているという。



牧野記念庭園内、スエコザサに囲まれ二句が刻まれた石碑(写真:田邊)

ヘラノキ(アオイ科)
 入り口から少し中に入ったところに大きな木がある。練馬の銘木になっているヘラノキで、これも牧野博士が命名している。樹皮が縦に細かく割れているのですぐにわかる。
 名前は花のついている花序に「苞」というへら状の形をしているものがあり、この姿から名がついた。苞は蕾を包み、保護していた器官である。ヘラノキの果実は径4mmほどの球形をしていて、熟すと苞がついたまま落ちる。そのとき、ヘラの形をした苞が、翼のかわりとなり、回転しながら風で遠くまで運ばれ散布される。



ヘラノキの樹皮



ヘラノキの花
(6月、小石川植物園)

ヒメアジサイ(アジサイ科)

 花は他のアジサイと同じで梅雨期に咲き、牧野富太郎が戸隠の民家で見つけ、名前をつけたもの。花が優美で葉に光沢のあるアジサイとは違うと気づきヒメアジサイの名で新種として発表した、と案内板には書かれている。現在は、エゾアジサイの系統とされ、発見当時と違う学名が使われている。私は、まだ花を見たことがなく、6月には是非訪ねたいと思う。この植物は「らんまん」でも紹介された。



ヒメアジサイ

牧野記念庭園を散策後、石神井公園へ向かった。ここではマコモやゴキヅルなどを観察し、帰路についた。(文と写真:山田 隆彦)



ご参加のみなさまと(都立石神井公園)(写真:田邊)


牧野富太郎の情熱をスエコザサに見る

西武池袋線「大泉学園」駅から歩き始めて、右手に大きなダイオウショウが目につきました。そこが「練馬区立牧野記念庭園」でした。牧野富太郎が人生の後半30年ほどを過ごしたところです。標本数40万点、書籍数万冊はとんでもない数で、学校の教室がいくつも必要なほどの量です。残された書斎と書庫は一部とはいえ信じられないほどの狭さでした。万巻の書を全て読むことは不可能です。読むべきポイントを正確に見抜き、理解し記憶し、活用できる人が稀にいて、牧野はそういう一人だったのでしょう。
庭に牧野の胸像を囲むようにスエコザサが茂っています。病に伏す愛妻壽衛(すえ)に感謝を込めて命名したことはよく知られています。残念ながら壽衛は発表論文を見ることはできませんでした。また、最初は独立種とされていましたが、今はアズマザサの変種とされています。改めてじっくり観察することが出来たのは、今回参加した一番の目的でした。
若い頃わざわざ上京して購入したという顕微鏡も展示されています。倍率の変換も出来ず単純な構造です。それでも家が買えるほどの値段だったそうです。それを駆使して正確な花の細かい解剖図を書き込んだ牧野式植物図は、その後の植物学の発展に貢献しました。
庭園を出て、暑い住宅街を通って「都立石神井公園」に向かいました。「三宝寺池」ではミソハギやヒオウギが目を惹きました。ヒオウギは町田では見られません。種子が黒く、かつて習った夜の枕詞「ぬばたま」という名もあることを教わりました。初めて見たシロネ、付属の植物園ではカリガネソウや関東にはないスズムシバナなどを見ることができました。「石神井池」では改めてマコモを確認し、水辺に普通というゴキヅルも初めて見ました。
季節を変えてまた訪れてみたいコースでした。「石神井公園」駅に向かう緩い坂道はもう足ががくがく、杖を取り出してしまいました。でも、駅前のビールはおいしかった。
(文と写真:田中 良也)



スエコザサ(写真:田中)



ヒオウギ(アヤメ科)(写真:田中)

2023.09.10 13:09 | 固定リンク | フットパス
他のまちのフットパスをみてみよう涼風をもとめて御嶽渓谷を歩く
2023.07.22
[ 講師:小林 道正]

渓谷の地形と河原の石、名水の秘密を探る

7月22日(土) 天気:晴参加者:11名

 JR青梅線「沢井」駅→多摩川の川原<石拾い>→清流ガーデン「澤乃井園」<石の標本づくり・昼食>→「小澤酒造」<酒蔵・仕込み水見学>→「御嶽渓谷」<散策>→「玉堂美術館」・砂金探し→JR青梅線「御嶽」駅
 小澤酒造は「澤乃井には2種類の名水があることで美酒を造ることができます」と説明しています。「2種類の名水」とは何でしょうか。それは奥多摩の地質が大きく関わっています。 「秩父中古生層」という古生代から中生代に形成された地層のことです。この地層の岩石を多摩川の川原で拾い集め「石の標本」を作ります。
 そして多摩川では「砂金採り」がブームになっています。上流に武田信玄の隠し金山といわれている「黒川金山」があり、長い年月をかけて流れ下って来たらしいです。









湧き水の説明図 砂金採りの例



涼しい東屋で石の標本作り(写真:横山) 小石の標本

1.川原で石拾い
涼風を求めて多摩川の川原に下りてみると凄まじい暑さでした。日陰がないのと河原の石の照り返しで予想以上です。ゴムボートでラフティングを楽しんでいる若者達が羨ましかったです。



御岳渓谷の急流を下るラフティングゴムボート

 ここでは御嶽渓谷の地形と河原の石について説明し、石の標本箱を作っていただく予定でしたが、真夏の炎天下では熱中症が心配なので、小石を拾ってもらうだけにしました。
 小石は、標本箱に入る大きさに注意して、色や模様の違うものを少し多めに拾うようにしました。石の色は水に濡らすと鮮やかになります。白、黒、灰色、青、緑色、赤などいろいろあることに気付いていただけました。色の違いによって丸いものやゴツゴツして角張っていることに気付いた方もいましたが、木陰へ移動することにしました。
 2.清流ガーデン「澤ノ井園」で石の標本づくり清流ガーデン澤ノ井園はお昼時前で空いていました。東屋のテーブル席に座ると涼しい風が吹いてホッとしました。ここで「小石の標本」を作ってもらうことにしました。
 ここで拾える石は、泥岩、砂岩、礫岩、チャート、石灰岩、凝灰岩などの堆積岩です。これらの小石を用意した箱の中に並べて、接着剤で貼り付けます。次にニスを塗ってツヤを出すと色が鮮やかになります。最後にラベルを貼って完成です。
 理科の勉強みたいですが、たいへん楽しそうに取り組んでいました。お店では買うことのできない大切なお土産になったと好評でした。




小石の標本


3.「小澤酒造」の見学
2種類の名水を見学しました。一つは「蔵の井戸」と云われている蔵の裏山を140mも掘り進んだ横井戸から湧き出ているミネラル分の多い「中硬水」です。もう一つは「山の井戸」と云われている多摩川の対岸の山奥から導いている「軟水」です。





4.「御岳渓谷」を歩く
御嶽渓谷は、誰でも安全に散歩ができる遊歩道が整備されています。木陰のおかげで涼しく歩くことができました。
遊歩道を外れて川原に下りてみると、褶曲した地層のチャートが観察できます。大小のポットホールがあり、その成因について話し合うことで長い長い時間の流れを感じてもらいました。



5.美術館鑑賞と砂金探し
日本画の巨匠・川合玉堂を鑑賞する人と、川原に下りて砂金探しをする人に別れて活動しました。ゴールのJR「御嶽」駅までは歩いて10分程度です。



(文と写真:小林 道正)



銘酒「澤乃井」を醸す水ありて

 記録的な猛暑の中、涼を求めて奥多摩の渓谷を歩きました。実際街中に比べて3℃以上低い感じ。フットパスはほぼ緑の木陰になっており、谷を渡る風も爽やかで、暑さは気になりませんでした。今回のテーマは奥多摩の地質です。川岸には巨岩が露出し河原も石がゴロゴロしており、大地の成り立ちを考えるのにはよいところだと思います。JR奥多摩線「沢井」駅前に集合。小林先生の先導の下、先ず多摩川の河原へ。そこで河原の石の種類と地質学的な起源について解説がありました。砂岩、泥岩、石灰岩、チャートなど一億年以上前の中生代から古生代ものとのこと。各種の石ころを探して小さな標本箱を作りました。
 昼食後は奥多摩の蔵元・「小澤酒造」を見学しました。内部は思った以上に広く、奥行きがあり、案内の方の解説も興味深いものでした。印象的だったのは岩盤をくりぬいた中の醸造用の水の井戸です。奥多摩の地層を抜けたミネラルに富んだ地下水で、銘酒「澤乃井」が醸(かも)されるわけです。



その後川沿いに歩いて遡りました。夏は草木が葉を繁らせる時期で花は少ないのですが、道沿いにオレンジ色のノカンゾウの花が点々と咲いていました。道は川の流れから10mぐらいの高さです。そこに生えているということは、増水の時そこまで種が流されて来るのでしょうか。河原に転がる巨岩とともに自然の猛威を感じました。
最後は「玉堂美術館」の前で砂金採りです。今回はダメでしたが粘れば採れたかもしれません。盛りだくさんの楽しい一日でした。



(文と写真:森 正隆)

2023.07.22 12:57 | 固定リンク | フットパス